原田マハ『デトロイト美術館の奇跡』。友達のように愛される美術館に起こった奇跡の物語

※画像はイメージ

原田マハさんの小説『デトロイト美術館の奇跡』。デトロイト市財政破綻のため、デトロイト美術館のコレクションが売却されるかもしれない。その大きな事件を一つの柱にして、美術館に訪れる人やコレクター、スタッフなどさまざまな人物が代わる代わる登場し、美術館にまつわる物語を展開する。

登場人物は一人をのぞいて架空の存在らしいのだが、どの人物もアートへの想いが強く、まるで本当に存在しているみたいだった。美術館へ行きたくなる。

市民によって「友達」のように愛される美術館

デトロイト美術館(通称:DIA)は市民にとってアートを見に行くだけでなく、「古い友達」のように親しみを持てる場所らしい。アートに詳しい人もあまり関心がない人も、ふらりと出かけて、自分のお気に入りの作品を見つけて、それを眺めながら至福の時間を過ごす。友達だからこそ、何度も、気軽に会いに行く。

市民の一人であるフレッドもまた、決してアートに詳しいわけではない。しかし、DIAには何度も訪れている。

「DIAに友だちがいたのですか?」
ジェフリーが尋ねると、フレッドは、にっこりと笑顔になった。
「ええ、いますとも。……ほら、こんなにたくさん」
ぐるりと頭を巡らせて、ギャラリー内に展示してある作品の数々をさも愛おしそうに眺めた。

p.85「ジェフリー・マクノイド≪予期せぬ訪問者≫二〇一三年」

そして友達だからこそ、危機的状況を救おうと声を上げる。「DIAのコレクションは『高額な美術品』じゃない。私たちみんなの『友だち』だから」(p.90)と語るフレッドが好きだった。

何度か伺っている美術館はあれど、こんなふうに気軽にしょっちゅう行っている場所は、私にはない。羨ましさもあるし、「30代の今こそこういう場所を見つけるべきでは?」と興味を搔き立てられている。これから何十年も通う、友達のような美術館……考えるだけで楽しい。

ちなみに私は美術館が大好きだが、ある知人に「美術館好きな人は全員嘘だと思ってる」と言われて驚いたことがある。つまりは「皆芸術がわからないのに物知り顔で見ている」という意味だったようだが、私としては、芸術に詳しいかどうかと芸術が好きかどうかは別の話のように思う。

私が美術館を好きな理由は、自由に好きな作品を観て、その世界に浸れるからだ。フレッドみたく友達として接するのも素敵だし、誰が作ったかわからないままにぼんやり「いいなあ」と思うのもいい。本書はそんな「気軽に美術館を好きでいる気持ち」を改めて思い出させてくれたのだった。

市民によって作られ、守られてきた場所

デトロイト美術館のコレクションは、幅広い。それは、本書に登場するキャラクターたちのようなたくさんの人の手によって作られ、守られてきたからだ。

例えば、DIAに多くの寄贈を行っているロバート・タナヒルは、主に十八、十九世紀のヨーロッパ作品が好み。モダン・アートに関心がなかったが、DIAでモダン・アートが展示された際に「驚くほどすんなりとそれが自分の中に入ってくるのを感じた」(p.54)と語る。彼のコレクションも当然素晴らしいものだが、彼の寄贈だけでは、市民に愛されるDIAは完成しない。誰か一人の価値観だけで出来ているわけではなく、皆で作っているからこそ、相互に好影響を与えあっているのだと感じた。

そして物語はそのみんなの手によって作られ、守られてきたからこその奇跡を起こす。フィクションながら展開はある程度事実に基づいていて、まるで登場人物たちが本当にいるように思えて、心が温かくなった。

デトロイト美術館、いつか実際に赴いてみたい。そしてこの小説に登場するキャラクターたちの好きな作品を、同じ視点に立って眺めてみたい。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。