素通りしている食の不思議を、可笑しくゆるりと再発掘。穂村弘『君がいない夜のごはん』

穂村弘さんの食にまつわるエッセイ『きみがいない夜のごはん』では、日常の食に関する不思議が綴られている。ふだん考えたこともなかったが、読んでいると「なるほど……」と妙に納得させられることも多い。

ゆるりとした文章に心は落ち着きつつ、ときに鋭くもある考察につい笑ってしまう。

もしかして私、脳で食べている?

お腹が空いたとき、いったい何が食べたいのか心に問いかけてみる。すると本能が「今日は韓国料理」「イタリアンが食べたい」「卵かけご飯を掻き込もう!」などと話しかけてくる……気がする。

そんなふうに日々の食を選択しているものだから、基本的に食を直感でとらえていると思っていた。

ところが本書を読んでいると、どうも私は直感ではなく、つねに脳で考えながら食べているのではないか?と思わされる。

「脳で食べる」では、前述のような食べたいメニューを考えるエピソードが綴られている。カレーが食べたくなった穂村さんは、夕食をとある店のインドカレーと決めるが、どうやら休みであることが発覚。

仕方なくほかにしようと考えるが、脳がカレーを諦めてくれない。今さら脳を説得するのは難しいというのだ。

「カレー、カレー、おいしいカレー、ほっほと熱い、ぴりりとうまい」とまだカレーにこだわっている脳に「お寿司、お寿司、おいしいお寿司、トロはとろーり、ウニはこっくり」の呪文を流し込む。
すると、ふたつのイメージが脳内で戦いを始める。
「カレー、カレー、ほっほと、とろーり、うまいよ、トロは、カレーが、おいしい、お寿司の、ぴりり、こっくり、ほっほ、ウニは、熱くて、とろーり、ほっほ、おいしいおカ司、寿レーはうまい、ほっほとうまい、カレーはうまい、やっぱりカレー、カレー、カレー!」

『君がいない夜のごはん』「脳で食べる」

確かに、「あれ食べたい!」と思った後に脳がその食べ物に執着し、どうにもこうにもほかのものを受け入れられないときはある。まさに脳がこのような状態に陥って、イメージ画像と食べ物の名前の文字列で埋め尽くされる……

私の場合は、以前コラムにも書いたのだが、和食を食べられなくて死活問題に追い込まれた経験がある。あのときはずっと脳が「和食! 和食! 米! 味噌汁! おにぎり! 」と叫んでいた。

食に関する不思議を再考する

今まで考えてもみなかったが、よくよく考えてみると確かに「おかしいな?」と思う食の不思議は多い。例えば、昔から苦手な言葉の一つに「カロリー」がある。

カロリーが高い・低いと言われても正直ピンと来ないし、なかなかカロリーで食べ物を選ぶ気にもなれない。カラオケで「〇〇カロリー消費!」と出ても、「ふーん」以上の感想が出ない……なぜなら私にとって、得体の知れないものだからだ。

「幻のカロリー」では、まさにそのカロリーの話が書かれていた。「食べ物のカロリーと重量は比例しない」ゆえに、カロリーの存在を理解するのが難しい、という話。

どうしてそんな時限爆弾みたいなことが起きるのか。いったん体のなかに入ったら、それも「私」ではないのか。「私」の仲間になったとみせかけておいて、カロリーの高い食べ物は自分が重カロリーだってことを心に刻んだまま忘れず、時の流れのなかでも重さを減らさないという己の使命を密かに果たし続けているのか

『君がいない夜のごはん』p.88~89

共感しかない。最近は健康に気を遣うようになってきたので、さすがにカロリーをわかりたいのだが、夜中のクッキー一枚にどのような恐ろしさがあるのかまだまだわかれない……この一枚がそんなにダメなの!? と重量とカロリーの比例しなさに疑問がわくばかりである。

そのほか、食べる時の変な癖やポリシーなど、「よくよく考えてみれば何だか変だな?」と思う食の不思議がユニークな視点で語られている。

個人的には、最後の晩餐について悩む話が好きだ。予想外のところで悩んでいるが、「うーむ、それは考えておかなくちゃいけないな」と頷いてしまった。

食は奥深い。まだまだ知らないことはもちろん、知っていることにもたくさんへんてこな不思議が溢れているのである。いやー、笑った笑った。

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食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。