『そして生活はつづく』で知った「生活が苦手」という概念



星野源さんのエッセイ『そして生活はつづく』の序盤には、以下の文言が綴られている。

私は生活が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんか見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。でも、そこで生活を置いてきぼりにすることは、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。…(中略)…そんなわけで生活をおもしろがりたい。

『そして生活はつづく』

わかる、に尽きる。

このエッセイを読んでやっと気づいた。私は「生活」があまり好きではないのかもしれないけれど、何とかして好きになりたいとは思っているということ。

仕事が好きだし、忙しいのも好きだ。誰かと会うことも好きだし、日々を楽しむことはできていると思うし、充実しているとも思う。

その中で、生活はひっそりと続いている。朝起きて顔を洗い服を選び、メイクをする。食事を用意し、食べて、部屋を掃除したり洗濯をしたりする。「丁寧な生活ブーム」はあれど、やはり「生活」という部分は地味だ。

料理は好きだが名前のない適当な産物もよく作るし、仕事柄外食も多い。家事を得意だとは思ったことがないし、家のことをきっちりしている自信は皆無。そうなってくると、私の人生の中で焦点を当てられるのはやはり、仕事やプライベートで友人と過ごしたり、どこかへ出かけたりしている、生活以外の部分になるだろう。

自分の生活の部分をないがしろにしているのかもしれない。地味な部分であるから、人生の中でも軽んじられる部分でもあるといえる。でも、そんな生活の部分を受け入れて楽しむことは、何か人生のヒントが隠されているような感覚もある。

「なにげない日常の中に素晴らしいものがある」どや顔でそんなことを言う人は苦手です。「なにげない日常」の中には、「なにげない日常」しかない。素晴らしいものなんてない。その中から素晴らしさ、おもしろさを見いだすには、努力と根性がいります。

『そして生活はつづく』

生活には、面倒くさいことも、つまらないことも、溢れ返っている。だからこそ、自分で楽しんでいくことが重要になる。ただただ、当たり前のことに気づかされたような気がするが、私の生活への考え方がまた、変わっていきそうな予感がしている。