川上未映子『夏物語』に見る、方言でストーリーを語る難しさと面白さ

日本語には関西弁や東北弁、博多弁など、数多くの方言がある。これらは、小説やマンガなどのフィクションにもたびたび登場する。

とはいえ、声に出して喋る方言と、文字にして読む方言はちょっと違う。特に文字にしてみると、微妙なリズムやイントネーションのニュアンスがうまく伝わらないことも多い。

私は関西出身なので、関西弁のニュアンスには敏感になってしまうのだが、関西弁で書かれた文字に違和感があって読み進められなかったこともある。

しかし、川上未映子さんの小説に出てくる関西弁は、なんというか“自然”であるなと感じる。『乳と卵』を読んだとき、すらすらと違和感なく関西なまりが読めたのは初めてで、とても驚いた。

そんな折、『乳と卵』のリメイク作とも言える『夏物語』を読み、関西弁で小説を書くことについての言及があった。これは『乳と卵』にはなかった記述である。

関西弁は語るための言語

小説家である遊佐リカ氏が、主人公の夏子に関西弁の小説を書かないのかと質問する場面。そこで遊佐は以下のように、関西弁についての自分の意見を語る。

「そうそう、関西弁ってのは語りのために言葉じたいが進化したっていうか……いや違うな、進化ってんじゃ、じゅうぶんじゃないな、さきに語りがあるんだな、目的として。んでその語りの最高形態を目指すために言葉の体質みたいなものがさ、たとえばイントネーションとか文法とかスピードとかそういうのがどんどん畸形化してって、そのけっか、語られる内容のほうもさらに畸形化していくっていうか」

『夏物語』川上未映子

テンポの良い関西弁しかり、関西はどうもおしゃべりな気質があると思われている。それは確かにそうかもしれなくて、かくいう関西圏出身の私も、関東の友人たちに標準語のときとは違う饒舌な喋りで驚かれたことがある。

関西弁で話すときは、なぜか話すスピードも速くなるし、一回で話す語彙の量も増える。別にそんなつもりはなくても、思い返せば、一人でぼけたり突っ込んだりしてることもあるなあと感じる。本当になぜかはよくわからない。

ただ、標準語との違いを見るに、「しゃべりに特化した言語である」という点はかなり頷ける。

関西弁を文字に起こす難しさ

遊佐リカはさらに、関西弁で語った小説についても言及している。

「大阪弁のネイティヴで大阪弁で書く人もいるじゃん、わたしいくつか読んでみたわけよ、文章になったらどうなってんのかって。でもまあだめなわけよ。あかんわけ。いろいろ読んでみて、ネイティヴであるかどうかっていうのはほとんど関係ないんだってことがよくわかった。」

『夏物語』川上未映子

関西弁で物語を語る、あるいは関西弁で話すキャラクターを描くというのはかなり難しいと私も思っていた。実際にそういった小説を読んでいるとき、関西弁であることがわかっても、どこかわざとらしさがあって、うまく文章が入ってこないこともあった。

川上さんの小説は『夏物語』のみならず、複数の小説で関西弁でしゃべるキャラクターが登場するが、これらの作品からは、生きた関西弁が聞こえる気がしている。

私が関西ネイティヴであるからなのか、それすら関係ないのか、私にとってはかなりすっと自然に入ってくる文章だった。それは小説の中における“自然な関西弁”にほかならなくて、スピードや語彙の多さすらも、文章で完全に再現されているような気がした。

その理由は句点の少なさにも関係があるのかもしれない。一文が長く、流れるように語られる文章はかなり独特だ。はじめて読んだときはこんな文体を見たことがないと思ったし、マネして書いてみても、どうも読みづらくなってしまう。

関西弁以外の方言はどうなのだろうか。たとえば広島弁や東北弁、それらを小説で再現することは可能なのか、はたまた、関西弁のように再現が難しく、人を選ぶ文体になってしまうのか。方言の小説の可能性を、もっと知りたい。

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