食品サンプルの歴史と流通事情を紐解く。『食品サンプルの誕生』野瀬泰申

食品サンプルはもはや、立派な日本文化の一つのように思う。海外から食品サンプルを作ってみたくてやって来る、という話もよく聞くし、精巧に出来上がったものを見かけると「これはすごいなあ」と感動もする。しかし。しかし、である。

当たり前にありすぎて、本当に一ミリも、「なんで食品サンプルなんてものがあるんだろう?」とは思いもしなかった。野瀬泰申さんの『食品サンプルの誕生』を読むまでは。

食品サンプルは「食品の見本」……だけではない

食品サンプル。その名の通り、食品の見本。料理名だけではわからないものを、見た目で説明してくれる存在……と、思っていた。ところが同書「まえがき」の、コーヒーやビールのサンプルがある話を読んでふと気づく。そう、食品サンプルは多くの人が判別できる当たり前のものまで、サンプルとして置いている。

喫茶店にコーヒーがあることは、サンプルがなくても予想がつく。居酒屋にビールがあることも想定できる。逆にない店があるなら、文句を言いたくなるくらいだ。それに、商品自体だって別に、サンプルがなくても想像できる。それでも置いているのは「『商品説明』以外の意味、役割を持っているということになりはしないか」(p.11)と著者はいう。

遠くからサンプルケースが見える。コーヒーがある。すると私たちは「喫茶店だ」と認識する。コーヒーカップはまごうことなき喫茶店の記号であり、サンプルは「ここに喫茶店があります」と道行く人々に無言で呼びかけているのである。

『食品サンプルの誕生』p.93

言われてみれば、遠目にサンプルを見つけて「あ、あそこに喫茶店あるよ」とか「そばの店あるよ」などと把握することは割とある。私たちは料理の参考にするだけでなく、知らず知らずのうちに店のアイコンとしても認識していたのだ。

さらに、どんなものかわかっていたとしても、「具体的な食べ物のイメージを喚起する装置の役割を果たしている」という。文字や写真よりもいっそう、美味しそうとか、飲みたい、食べたい、という欲を喚起してくれる。

うーん、こちらも確かに、ビールやメロンソーダのサンプルを見て「飲みたいな」と思って店に入ったこともあるし、サンプルを見てメニューを決めたこともある。

思った以上に食品サンプルにはさまざまな役割があるのだ。すごいぞ、食品サンプル……

実は歴史も成り立ちも曖昧な分野

本書では実際に食品サンプルを作っているメーカーに取材し、かなり具体的に食品サンプルの歴史や成り立ちを追っている。リアルなメーカーの話もとても興味深かったが、驚いたのは食品サンプルの情報にまつわる、前提の話。

なんと、そもそも食品サンプルのメーカーは業界の団体もなく、全国にどれくらいメーカーがあるのかや市場規模も明確にはわからないらしい。また、日本では非常に聞き慣れた「食品サンプル」という言葉も、2017年の発刊当時は『広辞苑』にも収録されていないという。「技術者の思いつき、ふとした偶然といった形で生み出される新たなサンプル技術は、無言のまま商品に日々埋め込まれている」(p.214)という一文が印象的であった。

何気なく、当たり前にありすぎて、それを取りまとめるまでには至らなかったのかもしれない。それだけ、食品サンプルが自然と日本文化に馴染んでいるということなのだろう。

このほか、食品サンプルがどのようにして飲食店に流通しているかや、製作する際の意外な暗黙のルールなども解説されており、今まで全く知らなかった界隈の事情をよく知ることができた。これを読むと読まないとでは、食品サンプルの見方が大きく変わるはずだ。

最後に、本書の中で一番好きだと思った食品サンプルのいいところ。それは料理は残せないが、料理のサンプルは残せるということ。「立体的な飲食文化の記録を残す手段はサンプルしかないだろう」(p.228)にかなり納得した。

食はほかの文化に比べて現物が残せないという点で、伝承していくのが難しい一面がある。でも、食品サンプルがあればそれを少し、解消することができる。文化継承の点でも、食品サンプルは重要な役割を果たしているのである。

もっと食文化・歴史の記事を読む

⇒食文化・歴史の記事一覧はこちら

もっと食の本・映像作品の記事を読む

⇒食の本・映像作品の記事一覧はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUT US
襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。