片岡義男『洋食屋から歩いて5分』。時をかける食の思い出



片岡義男さんのエッセイ『洋食屋から歩いて5分』では、食にまつわるエピソードが多数登場する。食そのものについてはもちろん、飲食店での思い出もたくさん。中には何十年越しに再訪したという話もあり、時が流れても変わらない店や人のやさしさに、じんわりと心が温かくなる。料理や飲み物は食べてしまえば残らないかもしれないが、その思い出は、時を超えて蘇るのだ。

喫茶店での数十年ぶりの出会い、忘れ物

例えば、とある女性に声をかけられた話が面白かった。道端で「久しぶり」と話しかけられたものの、まったく誰かわからなかったそうだが、しばらく話す中でハッと気づいたという。彼女はなんと、ずいぶんと昔に通っていた喫茶店の店員さんだったのだ。

「ここからすぐのところにかつてあった喫茶店で、いつも僕のテーブルへコーヒーを持ってきてくれた人だ」
「あの喫茶店はもうないけれど、かつてそこでウェイトレスをしてた私は、これこのとおり」と、自分の半袖シャツの胸を、彼女は示した。その指で彼女は僕を指し示し、「あの喫茶店で毎日のように来ては、原稿用紙になにかしきりに書いてた人」と言った。

『洋食屋から歩いて5分』p.7

今はもうない場所でも、そこで過ごした思い出は確かに、誰かの心の中に残っている。そしてその思い出が、こうして人と人を繋いでいくのだなと思うと、たとえなくなった場所だとしても、今に生きているような感覚がある。

あるいは、ある喫茶店に入ったところ、店主が「これ、忘れ物。三十年くらい前かなあ」と、アメリカのペーパーバックを差し出してくれたエピソードも好きだ。「バンタム・ブックスというペイパーバックの叢書(そうしょ)から一九六〇年代なかばに出た、ジョン・スタインベックの『チャーリーとの旅』という旅行記だ」(p.11)と、確かに片岡さんのものであったというから驚き。時をかけて戻ってきた忘れ物は、まるでタイムカプセルのよう。

三十代の自分にとって、三十年という時空を超えた忘れ物は、なかなか想像がつかない。これはやはり、長年作家として人生を歩まれてきたからこその出会いなのだろう。そして、三十年、変わらず営業を続けられている店主の方もやっぱり素晴らしくて、静かに感動してしまった。

日常の食にひそむ新発見

ふだんの何気ない食にも、意外な発見がある。本書では、現在よく食べているものや過去に食べてきたものを振り返って見つめ直すエピソードも盛りだくさん。自分の食を振り返る機会にもなった。

例えば、自分の食の歴史を綴る回では、醤油について「母親とは切り離された食べ物として、僕を日本の人としてもっとも早くに決定づけたのは、白いご飯をくるんだ焼き海苔に母親がつけた醤油」(p.136)と語っている。

素材とその調理方法は大きく異なっても、それらの味を日本の味へとまとめ上げる中心的な調味料は、醤油なのだ。したがって、日本で生まれてそこで平凡に育っていく日々は、さまざまな醤油味をひとつまたひとつと、成りゆきにまかせては体験していく日々となる。

『洋食屋から歩いて5分』p.141

実は私も、醤油については細々と考え続けている。インド人の方の食事に対して「毎日カレーばかりだと飽きるよね」というセリフを聞くたびに、「日本人は毎日醤油の入った料理を食べ続けている人も多いから、やっぱり、日本人のルーツ的な存在は醤油なのでは?」と思ったりしているのだ。私だって気が付けば、毎日何かしらに醤油を入れている。やはり醤油は、日本人のアイデンティティを確立するにあたり重要な役割を果たしているのだろうか。

そして、私自身のアイデンティティを作った食についても、ぼんやり考えている。これについては時間がかかりそうなので、別の機会にじっくり語ってみたい。

まだ見ぬ食の発見を求めて……

自分の内側にある食の思い出だけでなく、新たな食への探求心にも溢れている。私も挑戦してみたいなと思ったのが、「トマトを追いかける旅」。トマトは実にさまざまな場所で栽培されているため、その栽培地を巡る旅を敢行しようというのである。

世界あちこちのいろんなトマトを我が手に持ち、その様子を写真に撮り、持ち歩いて愛用しているポケット・ナイフでスライスし、おなじく常に持っている好みの塩を振りかけ、食べてみる。その味やそこまでの旅程など、細かなことをすべて手帳に書きとめておく、というような旅を地球ぐるっとひとまわり、敢行したならさぞや愉快だろう、と僕は思った。

『洋食屋から歩いて5分』p.32

その後、実際にマウイ島へ行って「マウイ・トマト」を食べに行くなど、ワールドワイドに動きまわる様子が綴られていた。トマトを求めていきなり海外へ飛び出すなんて、驚きの行動力だ。……しかし、この好奇心、非常に共感があった。食を起点とする旅は、いつだって魅力的である。

食について語るとき、その範囲は食べることだけに及ばない。食べた場所やその場を共にした人、そこに生まれた思い出もまた、食を彩る大切なピースになる。そしてそれは何も特別な場合だけでなく、ふだんの何気ない食事においても同じことが言えるだろう。本書はそうした食とそのまわりに広がるさまざまな彩りの欠片を、堪能できる一冊であった。




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