『〆切本』に学ぶ、奥深き〆切の世界。あるのは恐怖か、希望か

思えば物心ついた時から、「〆切」はそばにいた。小学生の宿題に始まり、自由研究にレポート、卒論、修論、就活のエントリーシート……ありとあらゆる〆切を乗り切ってきた。

そして大人になってもなぜか、〆切に追いかけられ続けている。ライター、編集者として仕事を始めてからは特に。

〆切があるとかなり嫌な気持ちになる。ここまでに終わらせなければならないというプレッシャーに胃が痛む。しかし、〆切があるとなぜか頑張れる。そして終わってみると得も言われぬ達成感に満ちている……

そんな奥深き〆切の世界に一石を投じたといえる『〆切本』

「明治から現在にいたる書き手たちの〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記・対談などをよりぬき集めた“しめきり症例集”」であり、「仕事や人生で〆切とこれから上手に付き合っていくための“しめきり参考書”」でもあるという。本書を読んで改めて、〆切とは何なのかを考えてみた。

〆切に弱る心と感じるプレッシャー

〆切とはすなわち、そこまでに終わらせないといけないという期限を指す。

その日までに終わらせないと死ぬ、なんてことはないけれど、社会的な死はあり得るし、誰かに迷惑をかけたり、終わらせられなかった自分に心が痛んだりしていいことはない。とは言っても、実際に〆切を守れるかどうかは別の話で……私はこの〆切のプレッシャーにかなり弱い。

しかし本書を読んでいると、文豪たちも私のようにプレッシャーを感じていたのだなあと実感し、安心する。例えば、田山花袋は「今夜こそ書こう」と思うものの、なかなか筆が進まないとき、どんどんネガティブな考えに陥っていくと語る。

T雑誌の編集者が来るのが、そうなると恐ろしい。きっとやって来る。そしてどうしても原稿を手にしない中は承知しないという気勢(けはい)を示す……。「貴方はお早いんだから……。」こういう言葉の中にも、複雑したいろいろな気分が雑(まじ)る。書く、つまらぬものを書く。それが世の中に出る。批判される……こう思うと、体も心も隅の隅の隅に押しつめられるような気分になる。

『〆切本』「机」田山花袋

以前、交流のあるライターさんが「書けば終わるんだから書けばいい」とおっしゃっていて、心底納得したものの、それでも書けないことも残念ながらあるのだ。タイトなスケジュールを言い渡されたわけでもないのに、なぜか辛く感じるのが〆切の常なのだろう。

上手な言い訳で逃げ切る文豪たち

〆切の辛さから逃れるために編み出されるのが、それを引き延ばすための言い訳たちだ。私は言い訳すること自体にもしんどさを感じるタイプだが、本書を読んでいると、立派な文筆家たちは言い訳も上手だなあと感心(?)してしまう。

例えば、寺田寅彦は、多くの物書きが(まさに)胃を痛めそうな言い訳を残している。

拝啓、扨(さ)て御約束の原稿の期限が参りましたが、先日来例の胃の工合(ぐあい)が少し悪くて時々痛み、ぼんやりして居ればよいが、少し頭を使ふと痛くなるので思うやうに進行せず、三回分くらいは書いたのですが、此れだけでは纏まらず、どうかもう少し御延期を願度と存じます。

「はがき」寺田寅彦

ただ、このあとには「航空行を失敬して少し休息しやうと思って居ます」「病気は大した事はなく、遊んで居ればいいといふ誠にわがまま病で慚愧の至り」と続けており、笑ってしまった。〆切はそれほどに、逃げたくなるものなのだ。

このほか、〆切への言い訳コラムがたくさん掲載されているが、なかでも個人的にお気に入りだったのは西加奈子氏。彼女は編集者の催促を交わすために、「肉眼ではね」というセリフを思いつく。

「西さん、先週〆切の原稿ですが、まだ送っていただけないのでしょうか」「肉眼ではね」
どうだろう。「自分は己の目で見えるものしか信じない、物事の背景にある様々なものに心の目を凝らすことが出来ない俗物」と編集者に思わせることはできないだろうか。

「肉眼ではね」西加奈子

肉眼ではね、かなり優秀な(?)言い訳ではないだろうか。〆切に限らず、さまざまな場面で使えそうな汎用性も好きだ。

〆切に追われている人は、本書から参考になりそうな言い訳を探してみても面白いかもしれない。

それでも〆切があるから頑張れる

逃れたい、プレッシャーに心が押しつぶされそう、恐ろしい……〆切はとにかく苦痛な存在である。しかしながら、なぜか勇気を貰える存在でもあるように感じる。例えば山田風太郎氏は、〆切こそが最大の原動力だと述べている。

とにかく約束した以上は書かなければならない。その切迫感だけで、ほかにはなんのたねもしかけもなく、アイデアがころがり出してくるのである。出てくるアイデアそのものより、このからくりの方が、われながらよっぽど、まかふしぎである。

「私の発想法」山田風太郎

私も企画が思いつかないとき、〆切があるだけで思いもよらないアイデアが浮かぶことがある。もちろんいいアイデアだけではないし、正直余裕のある時に思いつくこともあるが、とにかくあの〆切直前の馬力は、自分でも驚く。

〆切はあると心苦しいが、なかったらなかったで困る存在なのかもしれない。私たちは辛くても、苦しくても、〆切があるから頑張れているのだ。

手に取った当初は、「〆切についての本なんて面白そう」と軽い気持ちだったけれど、思いのほか〆切について深く考えている自分がいた。

私は上記のポイントが印象的であったが、本当に多種多様な〆切コラムが掲載されているので、きっと読む人によって響く作品は違うのだろう。読んだ人と、どこが印象的だったか語り合ってみたい。

ちなみに本書には待ってもらう立場の作家だけでなく、待たされる立場の編集者のコラムも掲載されている。私は編集者の立場で仕事をすることもあるので、届かない原稿に対して催促する苦痛や原稿が来ないのではないかという恐怖、来た時の喜びなどもよく理解できて面白かった。

出版・Webメディア業界はもちろん、あらゆる〆切を待ったり、待たされたりしている人に読んでもらいたい一冊である。

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