食による個人的「幸福論」。私にとっての食は、心を満たすセルフケア

飲食店一家に生まれ育った所以なのかはわからないが、私は割と「食」で幸せを満たすタイプだと思う。嫌なことがあっても美味しいものを食べたらある程度忘れられるし、逆に嬉しいことがあったときも「よーし今日は美味しいものを食べてお祝いだ~!!」となる。

ちなみに、この「美味しいもの」に、質や値段はあまり関係ない。奮発してちょっといいフレンチを食べたい日もあれば、ファストフードのナゲットをもりもり食べたい! という日もあるわけで……そのとき思い浮かんだ食べたいものが、そのとき一番美味しいものだ、という認識である。

とにかく、私は結構自分を食で満たすことで幸せを得てきた。さらに、最近同じような意見や考え方に出くわすことが何度かあり、やはり食はセルフケア、そして幸福を得るうえでかなり重要なのではないかと考えている。

空腹のときは誰だって不機嫌

「空腹」「おなかがすく」などのキーワードを聞くと、すぐにくどうれいんさんのエッセイ『わたしを空腹にしないほうがいい』を思い出す。

空腹になるといらいらしたり不機嫌になったりする。だから、食で自分の胃と気持ちを満たしていこうという主旨のもと、ユニークで美味しい(?)エッセイがたっぷりと綴られている。私はこの考え方が大好きで、元気がないときはとにかく「私を空腹にしないほうがいい!」と唱えて美味しいものを食べる。そうすると少し自分が満たされて、「まあいっか」と張り詰めたメンタルがやわらぐ。

そして、最近石井好子さんのエッセイ『巴里の空の下 オムレツのにおいは流れる』のあとがきでも似た言説を見かけてハッとした。

おなかがすいたとき、子供はなんとなくすねたり、だだをこねはじめたりするが、大人だって大して変りもない。おなかがすいて、たべ物が目の前にないときはちょっといらいらしている。それだけに、おなかがすいたとき、湯気のたつ食卓にすわる気持はとても幸福なのである。

『巴里の空の下 オムレツのにおいは流れる』石井好子 あとがき p.240

同書は初版1963年、私が生まれるずっと前から読まれ続けている名著だ。

まさにそう、大人だってお腹が空いたら不機嫌にもなるし、腹も立つ。おまけに、ものごとをあんまり考えられなくなって、碌なことがない。だから食べることはお腹を満たすだけでなく、心をも満たす。食べる前のわくわく感や幸福感は、悩みをすべて払拭してくれるほどの高揚がある。

美味しいものを食べられる経済力を持っていたい

日本はもう、ずっと大変な状況が続いている。豊かな国という一面はあるかもしれないが、税金や光熱費は高いし、将来もらえる年金は減っていくし、個人的に政治には結構怒っている。生きていくの、大変だよね!!

それでもなんとか自分なりに楽しく生活する中で、ずっとこれだけは大事にしておきたいなあという考え方がある。それは母に言われた「疲れてお腹が空いたときに、ふらっとラーメンを食べに行けるくらいの経済力を持っていたほうがいい」という一言であった。

仕事や家事や人間関係、いろんなことで疲れたときに、「もうご飯も作りたくない……」という気持ちになることは当然ある。しかしそんなときに「でもお金ないから外食できない」と思ってしまうと、その瞬間に心が死んでいく。何もできない自分に泣けてきてしまう。だから、こういうときに1000~2000円くらいをパッと出せる経済力は、いつでも持っていたいと思うのである。

ラーメンを食べられるくらいの経済力を持って、そのときどきで自分にとって一番美味しいものを食べつつ、楽しく心豊かに暮らしてゆきたい。それが私の思う、幸福なのであった。

こんなことを書いていたら、ラーメンが食べたくなってきたな……今夜はラーメンを食べに行こうかなあ……

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食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。