子どもの頃に『ジョージと秘密のメリッサ』に出合うことができていたら、私の人生はどうなっていただろう。今よりもっと想像力が広がって、今よりもっと、誰かに優しく接することができていたかもしれない。
同書は児童向けであるが、大人の私にも多大な影響を与える作品だった。ジョージの置かれた環境に心を痛め、それでも自分らしく生きようとする様に胸がいっぱいになり、家族や友人たちの優しさや葛藤に、たくさんの想像をめぐらせた。
ジョージが誰にも言えずにいる秘密
10歳の男の子・ジョージには秘密のコレクションがある。それは女の子向けのファッション雑誌だ。彼はモデルの女の子たちを友達のように感じていて、彼女たちと同じような服を着て、楽しくおしゃべりする自分をいつも想像する。
ジョージが二人にくわわっても、しぜんにとけこめるだろう。いっしょに肩をくんで、くすくす笑って。明るいピンクのビキニを着て、髪はロングにする。きっと、新しい友だちが三つ編みにしてくれるはずだ。名前をきかれたら、「メリッサよ」と答えよう。メリッサは、ジョージがだれにも見られていないとき、赤みがかった茶色のまっすぐな髪を前へとかし、前髪みたいにたらして、鏡のなかの自分に語りかけるときの名前だ。
『ジョージと秘密のメリッサ』p.8-9
ジョージはまだ幼く、自身の状況をはっきりと理解できていないが、私たち読者は気づく。彼は「女の子になりたい」と強く願う、トランスジェンダーである。ひっそりと自分だけの世界を楽しんでいる姿は微笑ましくもあるが、それ以上に切ない。タイトルのメリッサがまさか、冒頭でこんなふうに回収されるとは思いもしなかった。
女の子の役を、男の子がしてはいけない?
「女の子になりたい」という気持ちを、自分一人の秘密として抱えてきたジョージ。しかし、彼の学校で『シャーロットのおくりもの』という劇を上演することになったところから、事態は一変する。
ジョージは優しく賢い女の子のクモ「シャーロット」を演じたいと願い、一生懸命シャーロットの役を練習し、友人・ケリーの力強い応援を受けてオーディションに臨む。しかし、女の子役は女の子がやるものだと誰もが思っていて、先生たちはジョージがシャーロット役のオーディションを受けることを、「ふざけている」と思ってしまう。ここが最も悲しく、私まで泣けてしまった。
だって読者の私たちは、どれだけジョージが懸命に練習してきたか知っている。きっとどの子よりも上手だったはずだ。しかし、彼が「男の子」であるから、シャーロット役を任せられないと先生たちは言うのである。
ベッドにたおれこみ、枕に顔をおしつけて泣いた。シャーロットを思って。ケリーに怒りをぶつけてしまったことを思って。ユーデル先生に冗談とかんちがいされたことを思って。でも、いちばん大きかったのは、自分自身のことが悲しかったからだ。
『ジョージと秘密のメリッサ』p.88~89
自分自身のことが悲しかった、この一言が胸に刺さる。そんな悲しいことがあってたまるか。ジョージがシャーロットを演じられない世界があってたまるか。でも、悲しいかな、先生たちの価値観の中には、ジョージのような子を理解できる感覚がなかったのだろう。先生たちだって、何も彼をいじめようと思ったわけではない。それが一層残酷で、苦しい。
ただ、物語はこのあと、すごく素敵な展開を迎える。ぜひ本編で読んでみてほしい。
「安心して過ごせる場所」とは何か
物語の進展と同時並行で、トランスジェンダーについても丁寧に描かれていく。
ジョージはテレビでトランスジェンダーの人を見かけ、自分もそうであること、男の子が女の子になることはできることを知る。その一方で、トランスジェンダーが差別される世の中であること、「トランスジェンダーの若者が、安心して過ごせる場所を」という標語が貼ってある学校であっても、自分が安心できるような場所ではないことを知ってしまう。
そんな中、友人・ケリーはかなり心強い存在に映った。こんな子がいたらいいなあと思う。最初はジョージがただシャーロットを演じたいだけなのだと思っていたが、徐々に彼の考えがわかるようになり、ジョージの秘密に寄り添ってくれるようになる。「あのね、ジョージが自分は女の子だと思うなら……。」「それならあたしも、ジョージは女の子なんだと思うよ!」(p.116)と宣言するシーンが、何よりも好きだった。
そのほか、家族や学校の友人、先生たちとのやりとりは、心が痛くなるものもあれば、その温かさに胸がいっぱいになったりもした。ケリー以外であれば、兄のスコットとの関係もすごく好きだ。読後は優しい気持ちに包まれて、本当に読んでよかったと思った。
世の中は少しは、良い状況に変わっていっているのだろうか。私も差別撤廃の署名活動などに参加しているが(オンライン署名ができてから、参加しやすくなってありがたい)、力になれているのだろうか。ジョージが安心して過ごせる世界になってほしいと、強く願う。
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