自分の中に「逃げなかった」記憶を残す。『3月のライオン』②

『3月のライオン』の主人公・零くんは現役高校生のプロ棋士。その類稀なる才能に多くの人が期待しているが、彼は自分の境遇に生きづらさも抱えている。

同書は将棋の話ではある。しかしそれ以上に零くんが、嫌でも、苦しくても、自分のために自分と向き合い続ける物語だと私は思っている。そしてその零くんのもがきに、同じように苦しんだり、泣きたくなったり、解放されたりしながら、この作品を読み続けている。

苦しみや辛さを正直に吐き続ける

本書において、零くんの気持ちは驚くほど正直に吐露されている。

2巻では試合に負けて「どこかへ行ってしまいたい」と思ったり、負のオーラを出し過ぎて中学生のヒナちゃんに心配されてしまい、「なんでオレはオレの事だけで すぐいっぱいいっぱいになってしまってるんだろう」と情けなく思ったりする。

彼を支えてくれる優しい人たちもいるものの、その眩しさや温かさが、ときに彼を余計に落ち込ませたり、苦しませたりすることもある。

零くんの良くも悪くも素直な姿は、胸を苦しくする。私も、同じような気持ちを抱えることがあるからだ。

しかしそれと同時に、「そういう気持ちを抱えることもあるよね」とほっとする。どんな人も、静かな苦しみや辛さをそれぞれに抱えていると気づかせてくれる。

それでも「逃げなかった」という記憶

辛さや苦しさを惜しむことなく見せてくれる零くんだが、彼は「逃げ出したい」という気持ちを抱えつつも、結果として目の前のことから逃げずに闘っている印象がある。

先に言っておくと、私は「逃げる」こと自体はいいことだと思っている。本能が「逃げたい」と思うのであれば、それは「逃げた方がいいこと」ではないか。

しかし、「逃げた」という言葉にはどうしてもマイナスの意味が付きまとう。「逃げるな」は鼓舞や激励の意味で使われる。ゆえに、逃げられないまま苦しむこともある。

ただ、そんなときに、人からどう思われようが「自分としては逃げなかった」という、主観の記憶が大事になるのではと思う。

零くんは1年遅れで高校に通い直し、今一度苦手だった学校生活と向き合っている。そのことを、以下のように語る。

僕は本当に将棋にしか特化していないんです
人付き合いも苦手だし 勉強は好きだけど 学校にはなじめませんでした
人生を早く決めた事は後悔していません
でも 多分「逃げなかった」って記憶が欲しかったんだと思います

『3月のライオン』② 羽海野チカ

実際に高校ではなかなか友人が出来ず、人から見れば逃げているようにも感じるのかもしれない。でも零くんには、自分が向き合った軌跡として残るはずだ。

本書はあちこちで「『おのれ』に勝つ」「自分を大切にしろ」という言葉が見られる。それはきっと、勝負の世界で闘い続ける零くんであったとしても、最終的に向き合い、大切にしなければならないのは自分自身ということなのだろう。

誰にどう思われても、自分で自分を信じ、向き合うことから「(主観として)逃げない」ということは、人生において結構重要なのかもしれない。そういう意味での「逃げない」は、私も実践していきたいのである。



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