「なnD」7。『ヒロインズ』感想対談から見える、「女性」という存在の話

「なnD」7号、小さいサイズながら内容が充実しまくっていて、かみしめるように読んだ。面白かった~!!

書きたい感想は山ほどあるが、今回は特に印象的であった、西山敦子さんと近代ナリコさんの対談「ケイト・サンブレノ『ヒロインズ』(C.I.P Books)をめぐって 引き裂かれるような葛藤を抱えて」の話をしたい。

ひとつの立場からは説明できない

本対談では、『ヒロインズ』の感想とともに、女性がおかれている抑圧構造について語られていた。私は『ヒロインズ』未読ではあったが、この対談はそれでもとても興味深い。中でも、女性と立場やスタンスを一括りにはできない、という話に頷いた。

近代さんは、女性の立場やスタンスには細かいグラデーションがあるということを述べつつ、「単にひとつの立ち位置からでは女性の生きづらさは説明しきれない」という。そして、そのことが『ヒロインズ』ではきっちりと示されているようだ。

西山さんは同書について「いろんな人がいて、立場も違って書ける環境も違ったけれども、やっぱりそこには共通してある種の抑圧構造が存在したということを書いている」(p.16)と語っていた。

これは本当に最近、常々考えていることである。私の友人たちもみんな立場や属性が違うけれど、同じ生きづらさを感じ、共感し合いながら話すことがある。あるいは川上未映子さんの『夏物語』では、実にさまざまな立場の女性が登場するが、同様に共通の苦しさがあると思った。キャラクターの中には私と家庭環境や境遇が違う人物もたくさんいたが、なぜか理解できる痛みがあり、共感ではないが納得はできるということも多くあった。

「女性の書き手が」とまとめてしまうこともあるという西山さんの話もあったが、それはその後の「歴史のなかで、文学史のなかでは、書き手の性別によって扱い方や読まれ方が全然違っていたからっていうのが説明」(p.21)というのがしっくりくる。まとめられない、けれども性別による扱い方の違いを踏まえずに問題を話すことはできない。だからこの場合に、ある程度「女性が」という主語を使う必要性は私も感じる。

自分の中でもやもやと考えていたことが、言語化されているような対談であった。取り急ぎ『ヒロインズ』を読まなくては……

「女だから」ではないけれど、「好き」という葛藤

もう一つ、「本当にそう!!」と首がもげるほど頷いたのが、近代さんの手芸や料理の話。「女はこういうことをやってればいいんだって、社会からあてがわれてきた歴史をひしひしと感じつつ、でもやっぱり編み物って楽しいよねっていう。その葛藤ですよね」という言葉が沁みに沁みている……

私も料理は好き。でも「女だから」やっていると思われるのは、すごく抵抗がある。そもそも私の料理の原点は父にあり、調理のスタイルも飲食店由来でいわゆる「おふくろの味」とはかけ離れている。

女性の趣味だからではなくて、歴史を踏まえたうえで、性別や属性関係なく「好き」と言うことが当たり前の世の中になってほしい。先述の話も含め、こういう議論がなされていくことが、ひいては女性だけでなく、そのほかのさまざまな属性の人も生きやすくなっていくのではと考えたのであった。

もっとZINEの記事を読む

⇒ZINEの記事一覧はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUT US
mae
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。