料理生活70年の哲学と人生観に思いを馳せる。『魯山人の料理王国』

一度読んでみたいと思っていた『魯山人の料理王国』をついに手に取り、読了した。北大路魯山人氏の、70年という長い料理生活の中で培った料理哲学、料理を通して考えた人生観を語り尽くした一冊。

「こういうのはダメだ」「これはまずい」など、かなり手厳しいことも言っているけれど、感心する部分も多く、私の料理観に一つの大きな筋を通してくれるような存在であった。

生涯料理を学び、楽しみ続ける

魯山人氏は料理生活70年と、かなり長い時間を料理にかけている。ところが「未だに道をつくすとは言い得ない」といい、「ただ道を楽しんでいるまでのことである」(p.49)と綴っている。本書では、素材の扱い方や調理法、食にまつわる考え方など、料理をありとあらゆる観点から考察し、解説しているが、それは偏に、彼が料理を楽しみ続けた結果なのだろう。ここまでの境地にたどり着くのは難しいかもしれないが、私も生涯、食や料理を楽しみ続けたいと思う。

個人的には、素材に優劣をつけない考え方が、一番心に残り、好きだと思った。「牛肉が上等で、大根は安ものだと思ってはいけない」「常に値段の高いものがいいのだと思い違いをしないことだ」「材料のそれぞれの個性を楽しく、美しく生かさねばならないと私は思う」(p.29)といった数々のメッセージは、胸に刻んでおきたい。だって美味しいものは美味しいんだもの、値段は関係ない。

また、ただ美味しいものをたくさん食べても「味がわかる」ようにはならないという話も心に沁みた。味を身につけるには、身銭を切って食べることを繰り返すことが重要なのだという。

確かに、誰かにご馳走してもらったり、いただいたりして食べたものは美味しいけれど、自分の身になっているというよりは、「ご馳走してもらった」「いただいた」という感謝の記憶のほうが残って、味そのものを身につける感覚は薄い気がする。自分でお金を出して食べたものは、美味しくてもまずくても結構覚えていて、味を経験として重ねている感覚があるなと思った。

猪、茶漬、琥珀糖……魯山人が愛した料理たち

たくさんの料理に触れてきた中で、魯山人氏が特に愛した料理たちもまた、本書で触れられている。例えば、「猪」。「猪のうまさを初めてはっきり味わい知ったのは、私が十ぐらいの時のこと」(p.128)と語り、猪の肉を買いに行ったエピソードが綴られている。

魯山人氏の時代と環境で、猪はどれくらいメジャーなものだったんだろう? 私は少なくとも、猪肉を食べたのはだいぶ大人になってからだ。10歳くらいのときはたぶん、猪が食べられることすらも知らなかった気がする。地域にもよるのだろうか。

あるいは、こだわりつくした茶漬けの話も面白かった。「私の語るのは、ことわるまでもなく趣味の茶漬で、安物の実用茶漬けではない。そのつもりで考えていただきたい」(p.180)といい、塩昆布の茶漬、塩鮭・塩鱒の茶漬、鮪の茶漬……と数多くのお茶漬について語り尽くしている。私もお茶漬は好きだけれど、ここまでこだわったことはない。お手軽なのが良さだと思っていたくらいである。こんなに楽しみ方があるなんて、知らなかったことが悔しい。

作ってみたいのは「琥珀揚」。昭和10年頃に魯山人氏が開発した料理で、「天ぷらのようであって天ぷらとも違う」らしい。どうやらイサキやタイなどの白身魚(白身以外では、エビが挙がっていた)を水溶きした葛で揚げたものだそうだ。「天ぷらより簡単にできるし、腕前がなくてもたやすくできる現代的な料理で、存外うまい」(p.239)とあり、これなら家でできそう! 魯山人氏のレシピを、令和の今に自宅で作る。なんだか贅沢な響きである……

出版されたのは1980年、その前に一度絶版になっているようなのでさらに歴史をさかのぼる一冊だが、今にも通ずる考え方が多く掲載されている。こうして書籍として記録が残っていることに、改めてありがたみを感じたのであった。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。