「生活考察」vol.6。一つとして同じ「生活」はない、だから面白い

“ノンスタイルなライフスタイル誌”「生活考察」。生活について考えるインディペンデント雑誌である。今回初めて手に取り、vol.6を読んだのだが、この「生活」というテーマの多様性に驚いた。

実際、掲載されているエッセイたちはどれも、一つとして同じ視点はない。仕事について語る人もいれば、日常の何気ない出来事について語る人もいるし、思い出を綴る人もいれば、ふだん考えている雑感について述べる人もいる。

生活って本当に、一つとして同じものはない。部分的に共感することはあっても、全然違う。それゆえに誰かの生活を知ることは面白く、確かに何か「現代を“楽しく”サヴァイブするための術・発想・考え方が潜んでいるように思える」(p.3)のである。

生活に影響を与える意外なものたち

本誌でいろんな人の暮らしぶりや考えを読んでいると、生活に影響を与えるものや事象は実にいろんなところに転がっているんだなと感じる。

大谷能生さんの「ディファレント・ミュージックス」では、ふいに梅を干し始めたご家族の話がある。聞けば檀一雄さんの『檀流クッキング』で梅干についての項目を読み、「檀のいうことを聞け」という一節から「今年は檀の言うことをきいてみた」という。

実は私もタイムリーなことに、つい最近同書を読んだ。しかし、全くこの部分の記憶がない。インパクトがあって面白い文言なのに(このエッセイで声に出して笑ってしまった)、どうやら私は見落としたらしい。

結果、言うことを聞いていないタイプの人間となってしまった……同じ本を読んでも、生活への染み込み方が全然違うな、と妙に感心したのであった。

一方、円城塔さんの「かきものぐらし」では、家に長年研いでいない三徳包丁があるという話。

何気ない生活の話だったはずなのに、途中「なにかこういう身辺雑記風の話を法螺へ繋げて、どこまでが本当の話なのかわからないような小説を書いてみたいなと考えて」いるという話題へ移っていく。なるほど、こんなふうに生活が仕事につながっていくこともあるのか……

思えば私も、仕事やこのブログの企画を思いつくときは、たいてい生活の何気ない一瞬であることが多い気がする。生活は地味であまり考え事をしていない「無」の時間のように考えていたこともあったが、仕事と生活は意外と作用し合っているのかもしれない。

生活の中の偏愛

生活には何かしらの偏愛がにじみ出るものなのでは、と思う。私は最近、無意識にニラ玉にハマっているらしく、しょっちゅうニラ玉を作っている……

辻本力さんの「悩ましきバナナ」はまさにその、生活の中の偏愛を語ったもの。今回の「生活考察」の中でいちばん好きなエッセイだった。

毎朝バナナを食べている、という話はよくわかるが(私も大好きです)、外出時にお腹が空くとコンビニに行ってバナナを買い、路上で食べるという話にはもう偏愛しか感じない。

しかし、携帯用バナナケースが話題になり、重宝されている現代である。もしかして私がマイノリティなのか……? とふわっと思うなどした。

あるいは、太田靖久さんの「『犬の看板』探訪記」もとっても素敵。「犬が好き。自分の名字が『太田(おおた)』じゃなくて『犬田(いぬた)』だったら良かったのにと想い焦がれるほどに好き」から始まる、犬への偏愛具合に夢中になってしまった。

各地で見かける「犬の看板(フンの後始末忠告など、飼い主にマナーを呼びかけるもの)」をとにかく写真に収めて集めているという話だったが、私はこの看板に対する解像度があまりに低くて驚いた。

絶対に、人生で何百個、いや、何千個も見かけているはずなのである。なのに、ぜんっぜん気にしたことがなかった。こんなに多様性に溢れていて面白いんだな……これからは散歩中に見かけたら、ついつい眺めてしまうだろう。

場所によって変化する暮らし

柴崎友香さん・滝口悠生さんの対談「歩くこと、考えること、そして書くこと」では、柴崎さんが小説で「場所」を丁寧に書く理由として「その人の生きている場所は切り離せない」と考えているからだと語っていた。

例えば、ニューヨークみたいに高い建物ばかりのところで育った人と、北極圏みたいに平べったいところで育った人とでは、縦・横の線の見え方も変わってくるそうなんです。つまり同じ長さでも、縦と横どちらかが長く見えたり、短く見えたりする。

『生活考察』vol.6 「歩くこと、考えること、そして書くこと」p.90

滝口さんもまた場所を詳細に書くといい、「『場所を書きたい』というよりかは、その人の属性とか、登場人物に関する情報として書いています」とのことだった。これを聞いて、確かに場所による暮らしぶりの違いはあり得るなと感じた。

内海慶一さんの「ちいさい季節」では、いろんな人が感じる「秋の始まり」を紹介しており、ここでも場所における生活環境の違いが大きく出ている。

例えば、札幌の人は「市街地にクマ出没のニュース」を見ると、関西に住む人は「だんじりの太鼓の練習が始まる」と、秋の始まりを感じるとあったのだ。これはこの地域に住んでいる人でないとわからない感覚。

私と夫はそれぞれ出身地が異なるのだが、一緒に生活し始めた頃に暮らしの違いをかなり感じた。

食べてきたものもそうであるし、暑い地域出身の夫はお風呂はシャワー派であるとか、台風の多い地域だから災害対策を日頃からしているとか……過ごしてきた行事も異なるし、もはや異文化交流だった。場所は意外と、生活に影響を与えている存在なのだ。

すべて読み終わって感じたのは、生活ってなんてへんてこで愛おしいんだ、ということ。

ここに書いた以外にもたくさん頷いたり、しみじみ感じ入ったり、けらけら笑ったりした一冊であった。最終的に王谷晶さんのエッセイ(?)で、豚汁が無性に飲みたくなった(私も洗脳されている)。

人の暮らしって面白い。私にもたぶん、自分では普通なのに、誰かから見ると変で笑えるとか、感心するとかいったことがあるのだろうな。生活について書いてみるのも楽しそうである。



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