いとしさとせつなさと自動タコ焼き器。ゆっくりと焼けていく様を眺める浄化の時間

自動タコ焼き器を知っている人は、どれくらいいるだろう。少なくとも私は、弟が買ってきて初めて知った。自動でタコ焼きを焼いてくれるという、謎の代物だ。

なんでも自動になる時代、タコ焼き器だってそうなっても、確かにおかしくはない。おかしくはないが、結構シュールである。自動で焼かれている間、我々になす術はない。静かに、焼けるのを待つだけなのだから。

自動タコ焼き器との出会い

ある日弟が突然、「タコ焼き器を買った」と言い出した。関西圏出身の我々にとって、タコ焼き器は身近な存在。当時弟と住んでいた家にももちろんあり、「なんでもう一個買ってくるんだ」と突っ込むと「これは自動やから」という。自動? 自動って、どういうこと?

いざ開けてみると、何やら普通のタコ焼き器にはあり得ないようなこまごまとした部品が入っている。一つひとつそれらをセットしてからスイッチを入れる。そして、普通のタコ焼き器と同様、鉄板部分を温め、生地を流し込む。

ここからが、自動タコ焼き器の本領発揮。彼は静かに、カタン、カタンと音をたてながらタコ焼きをひっくり返し始めた。いきなり全部はひっくり返さない。全体が焼けるように、少しずつ角度をつけて、丁寧に作業を行っていく。

初めて見る動きに、私たちは釘付けになった。部屋の中にはカタン、カタン、という音だけが響いている。確かに自動だ、すごい。

ところがしばらくすると、ただ待っているだけの時間に「何やってんだろう」という気持ちになってきた。そして途中でつい、「え、この時間、どうしよう……」とこぼしてしまった。

いや、便利、便利だと思う。面白いし、助かるし、ナイスアイデアだ。じっと見ていると、その健気さに愛着が沸いてくる。懸命にひっくり返してくれる姿は愛おしさすらある。

ただ、彼が頑張っているところをずっと見てしまうので、焼いているときと何ら変わらない待ち時間が発生する。何なら、手持ち無沙汰になり、ぼやっとする無の時間が生まれた。

今思えば、この時間はアレだ、座禅のような心を無にする時間だったのかもしれない。自動タコ焼き器に身をまかせ心を浄化する、そんな時間だった……ような気がする。

慣れてきたら「よーし、後は自動に任せてゲームでもするか!」というマインドになるのだろうか。でもそれはそれで自動で頑張っている彼に申し訳ないし(ひっくり返す様を見るのはやっぱり楽しい)、タコ焼き器の醍醐味を手放したような気もして寂しい。

ああ、もう少し私に自動タコ焼き器を上手く活用できる技量があれば……と思わずにはいられない。

気になる人は、ぜひ試してみてほしい。

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ひまわり
食べること・読むことによって自分を満たすタイプの人間。 食と本にまつわる雑感を日々記録しています!