日々の食事をよりシンプルに、心地よく。『一汁一菜でよいという提案』で基本に立ち返る



子どもの頃、食事の基本は一汁三菜であると習った気がする。しかし大人になって、自分が食事を作る側になってみると、実際に毎日一汁三菜を準備するのは大変。時間がなくて、面倒くさくなって、「やってらんない!」と投げ出したくなる。

そんな折、「お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んで欲しい」という『一汁一菜でよいという提案』を手に取った。私が知っている“理想の食”より二品も少ない一汁一菜は、食事の基本の型なのだという。

一汁一菜というシステムで自分を守る

一汁一菜とは、「ご飯を中心として汁と菜(おかず)。その原点を『ご飯、味噌汁、漬物』とする食事の型」(p.9)。システムとして一汁一菜を取り入れ、習慣づけることで、暮らしのリズムを整えることを目的としている。

毎日、毎食、一汁一菜でやろうと決めて下さい。考えることはいらないのです。これは、献立以前の事です。準備に十分も掛かりません。五分も掛けなくとも作れる汁もあります。歯を磨いたり、お風呂に入ったり、洗濯をしたり、部屋を掃除するのと同じ、食事を毎日繰り返す日常の仕事の一つにするのです。

『一汁一菜でよいという提案』p.12

食事は一日三食にしている人が多いが、毎回三食、何を食べようか考えて作るのは結構大変。しかし一汁一菜と決めてルーティンにしてしまえば、ストレスもかなり減るだろう。そして食事を考えることにかけている時間を減らすことが出来れば、時間と心に余裕ができる。

注意しておきたい、そして自分にも言い聞かせたいのは、これは「手抜きではない」ということ。なぜなら一汁一菜は「継続して安定的に良い食事をする」ために作られた“システム”だからだ。

毎日の食事を考えていると、ついつい「今日は疲れたからなんでもいい」とか、「とにかくお腹が満たされる何かを食べよう」となりがち。でも、すでに作る型が決まっていれば、少ない脳の容量を具材選びだけに割くことができる。

私は食べるのが好きなので、「ちゃんと食事をしたい」という気持ちは強い。ただ前述のとおり、頑張って作ることばかりでは疲れてしまう。食べることは生活の一部。掃除や洗濯のようにルーティン化することもまた、大事なのだなと感心した。

自分にとって心地よいスタイルを身につければいい

……とはいえ、一汁一菜を毎日欠かさず作る、それもまた、大変な気もしてくる。

そんな不安がもたげてきたとき、本書は「それすら作らなくてもいい」と提案してくれる。おかずを考えるのが大変であれば、味噌汁を具だくさんにすればいいというのである。

確かに魚や肉、豆腐、野菜、海藻など、味噌汁の具に成り得る食材はたくさんある。「血肉骨を作るタンパク質や脂質、身体の機能を整えるビタミン、ミネラル(カルシウムなど)を含む食材」(p.50)を具とすれば、必要な栄養素はきちんと取ることができる。

本書では実際に作られた具沢山味噌汁が紹介されているのだが、ピーマンやトマト、卵、昆布、かぼちゃ、もやし、ごぼう、サツマイモ、にぼしなど、実に多様なものが具になっていて驚いた。思えば今まで作るという発想がなかっただけで、たいていの具材は味噌と合うのだ。

さらには主食をパンやパスタにしても良いとも書いてあり、ああ、確かに「型」と考えればかなり自由にカスタマイズできるなあとわくわくする。「一汁一菜」はあくまで基本システムであるからこそ、細かい内容はマイルールを作ってしまっても構わないのである。

いろいろな日があるわけで、それでよいのです。お肉料理もサラダも食べたい。休みの日にはゆっくりして、遅い朝食、早い夕食で、ご馳走を作って楽しんで下さい。一汁一菜というスタイルを基本にして、暮らしの秩序ができてくれば、おのずから様々な楽しみが生まれるものです。

『一汁一菜でよいという提案』p.77

基本が決まってさえいれば、気分がのったらおかずを追加するとか、旬の食材を取り入れてみるとか、プラスアルファの楽しみ方の幅が広がる。食事をシステマティックにすることは、ある意味で食事を自由にすることにつながるのだなと感じた。

本書は一汁一菜のシステムを丁寧に解説しているが、実のところそれだけではない。日本人の食文化がどのように根付いてきたのか、食の歴史そのものにも深く触れている。「一汁一菜を提案する本かあ」と軽い気持ちで読み始めたのに、いつのまにか知識の深みにずぼずぼとハマっていってしまった……日本の食文化や歴史について知りたい人もぜひ。



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