今こそお弁当を見直そう、食べよう。『RiCE』2020秋 No.16 #愛をシェアするお弁当

お弁当と言えば、家でつくるもの。そして、お惣菜屋さんやお弁当屋さんで買うもの、だった、今までは。ところが、新型コロナウイルスの影響でイートインの飲食店が利用しにくくなってから、価値観が大きく変わった。多くの飲食店がテイクアウト用のお弁当を提供し始め、「ちょっと贅沢なお弁当」が普及し始めた。コロナ禍で私たちは、図らずもお弁当の秘められた多様性に出会えた。

『RiCE』2020年秋の特集は「#愛をシェアするお弁当」。タイムリーにお弁当の良さを見つめ直せる企画であり、興味深く読んだ。

そもそもお弁当は、日常である

そもそもお弁当は、日常の中にあるものだ。中学・高校の頃は祖母がお弁当を作ってくれていたし、結婚してからは夫が職場に持って行くお弁当を作ることもある。コンビニで買って食べる人も多いだろうし、お弁当文化は日本国内に深く根付いている。

今回大きくフューチャーされているのが、2020年11月6日に公開された映画『461個のお弁当』。2014年に発売された書籍『461個の弁当は、おやじと息子の男の約束。』が原作となっており、ミュージシャンである父が息子にお弁当をつくり続け、親子の絆を育んでいく過程が描かれている。

ミュージシャンのように華々しい世界で活躍している人でも、息子のために毎日お弁当を作っている。不思議だけど、それが日常で、かけがえのないものなのだと感じる。父役を演じている井ノ原快彦さんは、どんなときも懸命にお弁当を作る父の姿が印象的だったという。

自分が好きなことももちろんやりたくて、自由に振る舞うときもあれば、直感で感覚的に動く人が、三年間(お弁当づくりを)休まず続けるって、そっちの方がすごい気がしちゃいました。そんな朝まで飲んでたのに(サボらず弁当作りを)やってるんだ!とか。

『RiCE』no.16 2020年秋号「#愛をシェアするお弁当」井ノ原快彦×道枝駿佑 親子弁当の絆は一日にしてならず?

日常だからこそ、苦しいこともある。ライターの阿部直美さんもまた、毎朝娘さんのお弁当を作っている。子どもの頃、あまりお弁当の時間が好きではなかったという阿部さんだからこそ、お弁当は無理をせず作ることを決めているそうだ。

大切なのは、心の余裕。遊び心。そう念じながら日々を過ごしてきて、無理なくできる範囲で料理を作り、翌朝は無理をせずにお弁当を作ってきた。面倒くさいな、という日は近所のお肉屋さんで惣菜を買いそれを弁当にも入れる。大事なのは、手の込んだ献立よりも笑顔である。

『RiCE』no.16 2020年秋号「#愛をシェアするお弁当」阿部家のおべんとう 文・阿部直美

自分でやってみても、やっぱり毎日作るのは大変。日常だからこそ面倒くさくなったりもするし、やめたくなるときもある。しかしこれこそが、お弁当の本質のような気もする。大変で面倒だけど、誰かや自分のために作ることには楽しさや充実感もあったりして……結果、お弁当ってなんだか愛おしい存在だな、と思ったのであった。

幕の内に松花堂、そしてキャラ弁……魅せるお弁当

お弁当は確かに、日常にある。しかし、お弁当の魅力はそれだけに留まらない。権代美重子さんのコラム『お弁当は「表現文化」』では、決して日常だけでない魅力を紹介している。

お弁当の多種多様さも見た目の美しさも、人々の思いと知恵から生まれます。働く力になるように、ほっとする安らぎを感じてもらえるように、楽しんでおいしく食べてもらえるように、という思いが目に見える形で表現されているのが日本のお弁当です。

『RiCE』no.16 2020年秋号「#愛をシェアするお弁当」お弁当は「表現文化」権代美重子

例えば、キャラ弁。2000年代に大きく進化し、まるで芸術作品のような細かい技術が光る弁当も増えた。もともとは子どもを喜ばせたいというのがきっかけだったものの、お弁当作りを楽しむようになった人も増えた印象。「お弁当は『見せる・見られる』ことを意識して作られたその人だけの表現作品」という権代さんのコメントにも納得である。

あるいは、幕の内弁当。もともと江戸時代の芝居の幕間に中飯として供されていたものが、現代にも残っている。

目で見る楽しみ、舌で味わう楽しみ、「幕の内弁当」には二つの楽しみがあります。表現されているのが「包容の美」「統一の美」。詰め合わされているのは手近な食材、地域の食材、季節の食材など、決して豪華なものではありませんが、それら多種の副菜を共存させながら、それぞれの特性を活かして一つのお弁当になっています。

『RiCE』no.16 2020年秋号「#愛をシェアするお弁当」お弁当は「表現文化」権代美重子

こうしたお弁当は、単に日常の食というだけでなく、ある種の作品として成り立っている。それはお弁当が自分のためだけでなく、「誰かのために作る」ものだからなのかもしれない。

飲食店によるお弁当、コロナ禍での進化

この半年くらいで大きく変わったのはやはり、飲食店の方々が提供するお弁当だろう。コロナ禍でテイクアウトのバリエーションが増え、美味しいお弁当を提供する店も増えてきた。ふつうのお弁当では考えられないようなメニューや組み合わせ、色合いなども、レストランならでは。

本誌では、レストラン『sio』の「贅沢弁当」が紹介されていた。このお弁当を鳥羽シェフは「『sio』っていうレストランが『お弁当』という新しいジャンルをつくる」という感覚で編み出したという。

『sio』はフレンチをベースにした料理を提供しているが、今回の「贅沢弁当」は和食。お弁当にするには冷めても美味しいものでなくてはならないため、「冷めても美味しい味って和食がダントツ多い」と考え、和食に至ったそうだ。

ただ、和食は基本的に色が茶色いこともあり、華やかなお弁当にすることは難しい。そこでこの課題を「レストランの技術で解決」していったという。

何をやったかっていうと、お弁当のネガティブな部分――色移り、味移り、色味、汁漏れ、この辺のネガティブな要素は全てクリエイションで克服する。贅沢弁当の“贅沢”ってそこなんです。クリエイションが詰まった贅沢っていう意味であって。

『RiCE』no.16 2020年秋号「#愛をシェアするお弁当」 お弁当の三つ星を目指して

確かに「贅沢弁当」は鮮やかな色合いで、見ているこちらも楽しくなる。さらに時間をおいても美味しい料理かどうかも、検証しながらつくったそうだ。こだわりたっぷりのお弁当は客から「お弁当を越えたお弁当」などと言われることもあるという。

今まで何気ない日常に溶け込んでいたお弁当は、コロナ禍でさらに進化し、外食できなかった私たちのために、「レストランの代わり」の役割を果たしてくれるまでになった。それは『sio』の鳥羽シェフを含む飲食店の方々のおかげにほかならず、本当にありがたい。

お弁当には本当に多様性があり、まだまだ可能性を秘めている。本誌ではほかにも、料理家の方がつくるお弁当や、弁当屋のお弁当、さらに世界で食べられているお弁当なども紹介されており、さまざまな観点からお弁当の魅力を見つめ直すことができる。今こそ私たちは、お弁当の魅力を再認識すべきなのだろう。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。