食事風景から知る当時の文化と心情。『描かれた食卓 名画を食べるように読む』磯辺勝

食×アートには弱い。美術館に行って食卓の風景の絵画を見つけると、気がつけばじっと立ち止まって、眺めている。思うに、私は食べ物を「美味しい」とは別に「かわいい」「美しい」などの感情で捉えることも多いからかもしれない。その証拠に、食べ物グッズをしょっちゅう買っている。

そんなわけで、磯辺勝さんの『描かれた食卓 名画を食べるように読む』も、タイトルが気になって手に取った。まさに私のための本である(過言)。これまでも食卓にまつわる絵画をたくさん見てきたつもりだったが、本書でまた、全然知らないユニークで美しい絵画に出会うことができて嬉しい。本書から、特に気になった絵画を感想とともにメモしておく。

ジャン=フランソワ・トロワ「牡蠣の昼食」(1735)

「牡蠣を食べ、シャンパンを飲み、ただ食の享楽あるのみ、という世界である」(p.16)のひと言に妙なロマンを感じる。

本書によれば、フランスの18世紀当時は「上流階級の飽食の時代」だったそうで、牡蠣をたくさん食べて自慢する風潮があったらしい。街頭にも牡蠣売りがいたというから、よほどの牡蠣ブームだったのだろう。なんだかバブルな香りのする絵画だと思った。

まさか絵画で牡蠣を食べる文化や歴史を知ることになるとは思いもせず、なかなかの衝撃。牡蠣を食べまくりたいという欲求は現代の日本にもあるし、私も大好き。人間の欲望は昔から変わらないんだなあと、改めて思い知らされるのであった。

フェリックス・ヴァロットン「夕食、ランプの効果」(1899)

とある夕食の様子を描いている。だが、ランプの光でどこか不穏な空気が漂っている。解説には「単に明暗の効果のことをいっているのではなく、手前にシルエットで描かれている人物と他の三人の人物との間の、ある酷薄な関係を浮き彫りにする効果をもっている」(p.62)とあり、確かに光と影は境目をはっきり示すなあと感じた。

酷薄な関係についても解説で触れられているが、自業自得でもあり、でもやっぱり可哀想でもあって複雑……この切ないニュアンスが、絵画の良いスパイスになっているのがさらに複雑である。本書の中で一番好きな作品であった。

アンニバーレ・カラッチ「いんげん豆を食べる男」(1585)

1585年の絵画ながら、現代のスマホで撮ったような一コマに見えて面白い。うーん、インスタやYouTubeのVlogとかでありそう。「これほど遠慮もなしに、食べものを頬張ろうとして口を開いた瞬間の顔を、正面から活写したものは珍しい」(p.98)とあり、本当にそうだよなあと頷く。現代の写真ならまだしも、この時代でこういう絵は初めて見た。

また、この作品はどうやら食の歴史を扱う本ではよく登場するらしく、「いんげん豆が食べられていたことを示す」証拠品らしい。あくまで予想だが、いんげん豆は高級品ではなさそうであるし、何気ない食事だから絵画に描くようなものではなかったのかもしれない。ともすれば、この絵はかなり貴重な証拠品となっていたりするのだろうか? 食に関わらず、こういう、絵画が歴史や文化を証明するという話に出会うたびに、面白いなあと思う。

ちなみに、まったく同意見だったのが、この作品のモデルや彼とアンニバーレの関係性、なぜいんげん豆なのかなどが気になるという話。

人物の個性がこれだけ如実にとらえられているところをみると、モデルは行動をともにしていたアニカ、または非常に親しくしていた人物ではないだろうか。その人はいんげん豆が好物だったから、農民に見立てて描いたのではないか……。というような想像を始めてみたくなってくる。

『描かれた食卓 名画を食べるように読む』p.103

わ、わかる~!!! 気になる、気になりすぎる。いったいこの人は誰で、なぜいんげん豆なのか……謎めいた部分も含めて、魅力的な作品だ。

ほかにもたくさんの食卓にまつわる絵が紹介されていて、楽しく読み終えた。実際に見に行ける作品は、ぜひとも見に行ってみたい!

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。