『観察力を磨く 名画読解』。物事を正確に、事実として見る力をアートで養う

絵画を見ることが好きで、美術館に出かけることも多い。しかし、いつも気ままに眺めているだけで、何か目的を持って見たことはなかった。

そんなとき、読書記録をしている「読書メーター」にて『観察力を磨く 名画読解』を見つけた。どうやら絵画を使って、観察力を鍛える方法を解説しているらしい。興味本位で手に取り読み始めたところ、意外な発見が多くて驚いている。 

物事を正確に観察するために、アートを活用する

絵画によって見る眼を養う、ということであれば理解できる。絵画はときに自分の持ちうる価値観や視野を優に超えてきて、想像もしなかったアイデアをもたらしてくれるからだ。そしてそこが、絵画の好きなところである。

しかし、本書ではそうではなく「絵画を活用して物事を正確に見るトレーニングをすること」を提案している。人は脳の構造上、いろんな情報を見落としてしまう。

そのため、意識的に物事を観察するトレーニングが必要であり、その一環として絵画を観察して言語化する訓練をしよう、というもの。

なぜ絵画? と疑問に思っていたが、解説を読んで納得した。絵画は個性的なものも多いために、パッと見の感想を言いやすいほか、自由な解釈が許されているからだ。

アートなら、話のとっかかりも見つかりやすい。それが心をざわつかせる作品――たとえば目があるべきところに鼻がある女や、髪にカーラーを巻き、爪にマニキュアを施した男、木から垂れおちる時計、足がクモのように長細いゾウ、叫ぶ群衆などなら、なおさら意見を言いやすい。

『観察力を磨く 名画読解』p.31

本書では実際の絵画を用いたトレーニング方法が細かく掲載されている。実際やってみると、やはりと言うべきか、あまりに見落としが多くてショック……しかし、それ以上にハッとしたのが、自分の主観的判断の多さであった。

主観が真実を歪める

例えば本書内に載っていた、顔をゆがめている女性の写真。これを見たとき私は、泣いていて、それを隣の女の子が慰めているように見えた。

ただ、これがもう、主観である。「顔をゆがめている女性」であることは間違いないが、「泣いている」「苦しんでいる」「取り乱している」などの表現は推測になるとあり、確かにそうだなと反省……

さびついた鎌は、ある人にとっては豊穣の印だが、別の人にとっては破壊の象徴となる。どちらが正しいのか。どちらも正しくない。展示に明記されていないかぎり、証明できない。客観的かつ正確な答えは“さびた鎌は、さびた鎌”であり、それ以外のどんな形容も、事実を歪めるものでしかない。

『観察力を磨く 名画読解』p.69

日頃からバイアス、特にアンコンシャス・バイアスには気をつけようと思っているものの、もうバイアスがかかっていることがわかって苦しい。

ただ、どんなに注意していてもバイアスはあるし、見落としもする、とわかることが第一段階として重要なのだろう。「自分が色眼鏡をかけてものを見ていることがわかって初めて、眼鏡を外すことができる」(p.86)という一文が染みたのだった。

事実を見る力が与えてくれるもの

読み始めた頃は、「ふうん、そうか、そういうトレーニングもあるんだ」くらいのふわっとした感想を抱いていたが、読み終えてみると、観察力を磨くことがいかに重要かが見えてきた。

例えば、さきほど挙げた「主観によるバイアス」を減らすことに繋がる。これは私にとってかなり重要なことだと思った。誰かとコミュニケーションをとるときに、無意識な偏見を抱きにくくなったり、逆に意外な長所を見つけることにつながったりするかもしれないからだ。

また、仕事をしたり、ニュースを見たりするときにも役立つ。推測や曖昧な情報に惑わされず、事実だけを見ることで感情が振り回されずに済むほか、何が問題なのかを明確に見出すことができるかもしれない。

それにふだんの趣味として見る絵画だって、今まで気づかなかった特徴に気付けるようになれば、より楽しめるはず。意識的なトレーニングを少しずつ取り入れていきたいところである。

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