映像でも観てみたい物語、文章で読み続けたい物語の違いは何か?



作品を読んでいるとき、「これ、映像化しないかなあ」と願うことがある。映像になったらどんなふうになるんだろう? 誰が演じるんだろう? この場面の演出は? と妄想が妄想を呼び、映画ないしはドラマで観てみたいという気持ちを引き起こされる。

その一方で「これは絶対文章で読み続けたいな」と感じる作品もある。映像ではなく、言葉一つ一つを噛み締めながら、自分の内側でじっくりと読みたい。昔に比べて映像技術が驚くほど発達しているので、映像化できないもののほうが少ないかも? とは思われるが、それでも本の中に閉じ込めて、大事にしまっておきたいものもある。

これは、どちらがいい、悪いの話では決してない。二つの全く別の魅力があるということである。では、映像で観たいと思うものと、文章のみで楽しみたいと思うものにはどんな違いがあるんだろう。改めて、それぞれの魅力を考えてみることにした。

映像でも観てみたい物語とは?

映像でも観てみたいと感じるときは、以下のようなポイントがあるように思う。

【1】キャラクターの存在が色濃い

キャラが立っている物語は具体的なイメージを持ちやすく、映像化を想像することが容易い。マンガの実写化がわかりやすい例だろう。人気の作品は、アニメ化するならどの声優さんがいいか、実写化するならどの俳優さんがいいか、などという話題で盛り上がることも多い。近年では『逃げるは恥だが役に立つ』や『ハコヅメ』が「俳優さんたちがキャラにぴったり!」と感心した。

【2】世界観がはっきりしている

ファンタジー系の作品は世界観がはっきりしていて、映像で見ると面白そうだなあと想像しながら読み進めることも。『ハリー・ポッター』シリーズは先に本を読んでいたので、実写を観たときの驚きと感動はすごかった。あるいは、ライトノベル『キノの旅』は、想像していたやさしくも物悲しい世界観がアニメに投影されていて印象的だった。

文章で読み続けたい物語とは?

一方で文章で読み続けたい物語には、以下のようなポイントがあると推測する。

【1】独特で魅力的な文体

この文章で読むからこそ味わい深い、と感じるものもある。淡々としつつもやわらかな文章で語られる村上春樹さんの作品や、読点が少なく流れるように言葉を拾っていく川上未映子さんの『乳と卵』、ひらがなを多く使い、やさしい世界観を言葉に映し出す吉本ばななさんの作品。外国文学では、カズオ・イシグロやヴァージニア・ウルフの作品なども、個人的には文章で読むのが心地よい作品だ。

【2】読み手への情報が意図的に限定されている

キャラクターの年齢や見た目をあえてはっきりと描いていない場合や、読者の想像に任せるような場面展開を見せる作品は、映像で答えの一つを見せられるよりも、自分の中で考え続けたいなあと思う。あるいは、それぞれの解釈があって然るべきだからこそ、読書会などで意見を交換するのも面白そうである。

ここまで考えてみると、やはりどちらの場合も好きな作品に変わりはない。ただ、個人的な楽しみ方がちょっとだけ異なるのだなと感じた。今後も文章は読み続けるだろうし、映像化された作品もたくさん観ていくつもりだ。一つの作品でいろんな楽しみ方ができるのは、とっても嬉しい。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA