『おかしな本棚』で、自分の本棚について考える。本が好きか、本の詰まった棚が好きか?

本棚を眺めるのは好きだ。だって、お気に入りの本しか入っていないから。

積読だって、何かしらに惹かれて購入したものだから、読んでいなくても「大好き」に変わりはない。自分の本棚は愛おしい。だから、本棚が好きな人の気持ちはすごくよくわかる。

クラフト・エヴィング商舎『おかしな本棚』では、本棚をあちらこちらと蝶のように舞いながら、いろんな本の話をしてくれる。これは古書店で手に入れて、これは40年以上積読で、など、いろんなエピソードが飛び出る。

なんだか、ヴァージニア・ウルフの「意識の流れ」の手法のようで、まるで物語のように読んだ。

本棚には、その人の歴史や価値観が詰まっている

本書は「本棚の本」であり「本棚をめぐる、本棚のあれこれを考える本」。「金曜日の夜の本棚」「頭を真っ白にするための本棚」など、さまざまなテーマの本棚のラインナップを紹介しつつ、本棚にまつわるエピソードが綴られている。

私がいちばん好きだったのは「しみじみする本棚」。『チェーホフ全集』の別巻や『シャツの店』など、著者がしみじみとする本が並んでいる。

「しみじみ」というのは「まぁ、なんていうか、誰にも聞こえないような声で、「いいのう」と言ってしまうような」(p.80)とあり、「そうだよね」と心の中で同調する。私の中で本棚は、まさにそういうものだからだ。

実は私、終日家にいる日は、何度も本棚の前に立ってしまっている。

「これは読んだけどブログに感想を書けていない」「これは続きが気になってるのに半分しか読めていない」「あー、この本面白かったな、再読したい」……本たちを眺めながら、読書状況を考えている。

無意識だったが、おそらくこの時間が結構好きなのである。

誰かの本棚を見るのも大好き。相手の好きな本がわかっていても、意外な本があったり、共通の本が見つかったりして楽しい。

もちろん、誰かの棚を見せてもらう時は許可取りが欠かせない。いかに堂々とリビングにあったとしても、見られるのが嫌な人もいる。本棚はその人の歴史や価値観や趣味趣向が、詰まりに詰まっているから。

いろんな本に思いを馳せながら、ぼんやりとした時間を過ごす。最高のひとときである……

本棚が心を満たしてくれる(?)

「終わらない本棚」では本好きか、本棚好きかを考える話がある。

あるとき、どうも自分は本が好きなのではなく――いや、もちろん本も好きなのですが――本当に好きなのは本をおさめた本棚や本立ての方ではないかと気がついた。そこに本が並んでいるということ。一冊ではなく、二冊、三冊、と背中を並べていること。その並びが、どんなふうに並んでいるのか、どの本とどの本が隣り合わせになっているのか――。

『おかしな本棚』「終わらない本棚」吉田篤弘 p.2

私はコレクション癖があるので、気持ちはわかる。本棚を思い通りに並べることに美学を感じる人も当然いるだろうと思う。

ただ、おそらく私はどちらかと言えば「本好き」に部類されると思われる。本棚の細かい並びには、差してこだわりがないからだ。ただそこに、お気に入りの本が合ってしみじみする、それだけらしいと、本書を読んでいて思った。

以前、読書好きの知人が家に遊びに来てくれた際、「思ったより本が少ないね」と言われたことがあった。「そんなことないと思うけどな?」が私の感想であったが、今思うと彼女はおそらく、「本棚が好きなタイプ」だったのかもしれない。

私の家は確かに、壁一面本棚、なんてことはない。手持ちの本は棚には入りきらず、あちこちで積み重なっているが、これは正直、もう一個本棚を買い足せば解決しそうなところ。

そして思ったのだが、私は「たくさん持っている」という状態が苦手なのだ。収集癖はあるのに!(壁一面の本棚に憧れたこともあった……)

だから一年に数回、古本屋に売りに行く。手持ちの本をずらっと見て、もう読まないだろうなという本をピックアップする。私の本棚にある本は基本、何度も読みたい本のみ。興味を失った本は、ほかの興味のある誰かに譲ったほうがいいというのが、私の考えである。

そういうわけで、脈絡なく置いて、適当に取り出す。これこそが私のしみじみする本棚!

「本棚についての本か~面白そう」と気軽に手に取ったのに、思いのほか自分の本棚に対する考えをじっくり整理するきっかけとなったのだった。

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