以前、読書記録を残す意義について記事を書いた。特にオンラインで記録することは、見知らぬ誰かと感想を共有できたり、好きな本の魅力を誰かに伝えることができたり、著者の方へお礼を言えたり……実にさまざまな効能が存在し、それらを気に入っている。
しかし、その一方で今思うのは、オフラインに、まとまりもないままに留めておく読書感想もまた、尊いということである。
私は、読書の記録全てをオンラインで公開しているわけではない。中には一人で噛み締めたものもあるし、親しい友人や家族にとりとめなく感想を述べているものもある。なぜオフラインに留めておくのか、オンラインでは公開しないのか? 考えてみれば、そこにはいくつかの理由があった。
個人的、繊細な意見を含むもの
最近、小川たまかさんの『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』を読んだ。当時の小川さんのブログを加筆修正、一部書き下ろしを行った一冊で、ジェンダーにまつわる内容を多く記載している。
2018年に発刊されたこの本を2023年に読むことは、私の中に本当にさまざまな感情を呼び覚ました。発刊当時から現在に至るまでの間は、私が個人的に、ジェンダーやフェミニズムについて特に学び、考えた時期だったからだ。
読んでいる中でどんどん、自分のここ5年ほどのを出来事を思い出す。自分の中にあった恥ずかしい思い込み、ふりかかった過去の嫌な経験、フェミニズムを学ぶ中で少しずつわかってきた、世の中のちょっとした違和感……当時と今で世間、そして私自身が変わったこと・変わらないことについても、思いを巡らせた。
興味深く読み、最初はオンラインで細かい感想を書くつもりだった。しかし、しばらくして「それはやめて、オフラインで友人や家族と話そう」という考えに至った。ここに書くにはあまりに個人的過ぎる内容を、語らなければならないと感じたからだ。
このブログでもたびたび、フェミニズムやジェンダーの話には触れているし、私の個人的な意見を述べることももちろんあるけれど、それよりももっと繊細でまとまりがない感想になる。そして何より、不特定多数に向けて書くことで、自分を大きく消費してしまうだろうと予想できる。
あるいは、俵万智さんの『未来のサイズ』については感想を書いたが、政治的な意味合いの作品や事件の話題については、細かな感想を述べることを控えた。オンラインで私の立場を表明することに意義を感じなかった。その代わり、こちらもやはり、身近な人に感想を話したり、意見を聞いてみたりした。
私の友人や家族たちは、何も社会課題に興味のある人ばかりではない。熱い話になることもあれば、いつのまにか全然違う別の話になって、終わることもある。でも、私はそれも好きだなあと思う。オンラインで話していると、たいてい同じく関心を持つ方が反応してくれるけれど、オフラインではそうじゃない人の意見も聞けるところが、気に入っている。
まとまった言葉で紡げない感想
感想をまとめたいのはやまやまだが、読み終わって「なんかすっごく面白かったけど理由が説明できない!!」となる本もある。
そういう作品はいつも、感想を上手く書けない。書きたいけど、書けない。私の理解力も、言語化能力も足りない。だから、一人噛み締めたり、とりとめないままにオフラインで喋ってみたりしている。
先の記事にも書いたけれど、わからないことは常に、嬉しいし悔しい。いつか言語化できるようになりたい……が、このもやもやした、とりとめのない感じが心地いいこともあるから、難しい……
人に簡潔に話せることだけが、読書感想ではない
読んだ感想を言語化することは、かなり大事ではあると思う。自分の中にある感情を言葉にする作業によって、気持ちを整理できるし、新たな発見もあるし、冒頭で述べたように、見知らぬ誰かと共有したりすることもできるからだ。
しかし、その一方で、誰にも言いたくない感想や、オフラインでとりとめなく語る感想も大事にしたいなあと思う。それもまた、私を形作る上で重要な要素なのである。
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