本を何で読むか問題。デジタルと紙媒体では役割が違うからこそ、両方楽しみたい

このところ、すっかり電子書籍を読む機会が増えた。便利で軽くて場所を取らず、使い勝手もいい。電子書籍様様である。

しかし、いざ積極的に活用してみると、読書スタイルを完全にデジタルに移行できるのかと言えば、そうでもなさそう。紙媒体での読書は、電子にはない別の魅力があるからだ。

どちらがいいとか悪いとかではなく、そもそも電子書籍と紙の書籍は、それぞれ役割が違うのではないだろうか。二つを比較しながら、改めて自分の使い分けを考えてみた。

電子書籍はとにかく利便性が肝

まず、電子書籍は本当に楽。利便性に優れいている。例えば以下が、電子書籍の大きな特徴になるだろう。

気になる本をすぐにチェックできる

まず、気になる本をいつでもどこでも、すぐに確認できるところがいい。買うかどうか迷っている本を試し読みすることもあれば、サブスクを利用してざっと目を通すこともある。

本の置き場所を気にしなくていい

紙の本は確実に場所を取るが、電子書籍はスマホやタブレット一つですべてが完結する。何十巻も発売しているマンガ、トレンドが変わっていくビジネス本、雑誌などはどんどん増えていってしまうので、場所を取らずに保管しておけるのはとても助かる。

ただし、手軽すぎるゆえに「所持している本を忘れてしまう」こともある。デジタルデバイスに入っていると、コンパクトになりすぎて、自分が所有していることや読んだことすらも忘れてしまうことがあるのだ。個人的には、管理がしやすいようでしづらい印象がある。

五感で読む、味わい深い紙媒体

一方で紙媒体は、電子書籍に比べると利便性に欠けるかもしれない。しかし、全く別の魅力がある。

五感を使って読書を楽しめる

目で追うだけでなく、紙をめくる手触りや音、本の匂いなどさまざまな感覚で楽しめるのが紙媒体の良いところ。印刷も、古本で文字がかすれていたり、レアな誤植があったりするのもいい。電子では味わえない感覚を、紙媒体では味わえる。

池澤夏樹さん編『本は、これから』では、まさに電子書籍が台頭する中での紙媒体の意義を問うているが、「本は重くてかさばる」とする一方で、それゆえの愛おしさがあるとしている。

その形あるところに人は愛着を覚えたりする。手の中の重さ、指に触れる紙の質感、匂い、活字本の場合は紙の表面のかすかな凹凸、古い本ならば天に積もった埃、それを防ぐべく施された天金の褪せた輝き……
つまり、フェティッシュとしての本。

『本は、これから』序 本の重さについて 池澤夏樹

書き込みや付箋など、手を動かしてインプットできる

電子書籍でもできなくはないのだけれど、インプットも紙媒体の方がしやすいと感じる。書き込んだり、付箋を貼ってメモしたり……電子書籍で同じことをしても、なぜか記憶に残らないのが不思議だ。

手元に残せる、贈れる

電子書籍は何と言っても、形がない。持ち運びは圧倒的に便利だが、電子書籍のサービスが終了してしまったり、インターネットがつながらなくなったり、デバイスの充電が切れたりしてしまえば、なくなってしまう。その点、紙の本は手元に残せるし、誰かにプレゼントしたり、貸したりすることもできる。

私のようなコレクター癖のある場合も、物体として残る紙は嬉しい。本棚にずらっとお気に入りの本が並んでいるのを見ると、うっとりする。形があるからこその楽しみ方である。

気になる本はデジタル、手元に置きたい本は紙

以上の特徴から、とりあえず気になる本はデジタルで買い、手元に置いておきたい本は紙で買うことにしている。さらに言えば、デジタルで買った結果、実物も欲しいと思って紙媒体を買うこともあるし、紙媒体を手放したときに「やっぱりまた読みたい」となってデジタルで買うこともあり、互いに補完し合っている。

電子版と紙媒体は役割が全然異なるからこそ、両方あってほしい。どちらにも良い面があるので、どちらも使っていきたい。

2023年12月追記:意外な電子・紙それぞれの魅力について

先に挙げた『本は、これから』では、ほかにもたくさんの紙媒体の良さ、電子媒体の良さが述べられていた。

高画質の提供、記録媒体としての評価

池内了さん「本の棲み分け」では、編集者に「宇宙に関するほんには沢山のきれいな天体写真を使うことになるので、電子版の方が素晴らしい画像が使えて迫力が出ますよ」と提案された話があった。言われてみれば、紙よりも電子の方が高画質の写真を掲載できるはず。写真集などは、電子の方が向いていることもあるのかもしれない。

あるいは、「科学の本はその知見が次々と書き換えられていく運命にある」ために、紙ではすぐに絶版になってしまうが、電子であれば場所を取らずに「時間を超えて保存してくれる」といい、「記録媒体」として評価すべきとする話。最新の情報でなくても、歴史的記録として残しておくことは大事だ。その点において、電子は大量の記録をし続けることにうってつけと言える。

柴野京子さん「誰もすべての本を知らない」では、世界中の図書館や出版社を網羅し、書物をデジタル化して提供する「グーグル・ブックス」に触れて、「このもくろみが実現すれば、もはや世界中の本はすべて手に入り、誰もが好きなものを自由に選べるようになる、といっても過言ではないかもしれない」(p.108)という。先の「記録媒体」としての役割を、大いに果たしている。同書は2010年発刊であるが、13年経った現在、だいぶ実現してきているように思う。

ちなみに2021年は大人気ゲーム「マインクラフト」内に「検閲のない図書館」が作られ、話題となった。読みたいものを「手に入らない」「規制されている」という制限なしに、自由に読める時代が、電子媒体のおかげで到来しつつある。

手触りがあるからこその感覚

一方、紙の書籍。内田樹さん「活字中毒患者は電子書籍で本を読むか?」では、手触りで感じる「物語の終わりの接近」について語っている。

紙の本という三次元的実態を相手にしているときには、「物語の終わりの接近」は指先が抑えている残り頁の厚みがしだいに減じてゆくという身体実感によって連続的に告知されている。だが、電子書籍にはそれがない。仮に余白に「残り頁数」がデジタル表示されていても、電子書籍読書では「読み終えた私」という仮想的存在にはパーティへの招待状が送られていないのである。

池澤夏樹編『本は、これから』「活字中毒者は電子書籍で本を読むか?」内田樹 p.45

私が読んでいる電子書籍でも「残り何%」「何ページ中何ページ」のような、残りページへの案内はある。しかし、紙媒体を読んでいるときの「あとこれくらいかあ」という実感や、これまで読んできた達成感は、不思議なほどない。

手触りがあるということは、紙の感触や匂い、捲る音といった単純な感覚以外にも、さまざまな情報と実感を伝えてくれている。それは電子書籍では得られないものだ。

私がふだん感じていること以外にも、電子書籍と紙媒体にはそれぞれに魅力があり、役割がある。やはり、どちらもあってほしいし、使っていきたいと思ったのであった。

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食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。