ふとしたきっかけで、久しぶりにF・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読み直した。大好きな作品でこれまで何度も読み返してきたわけだが、今回初めて「これは夏にぴったりの本だな」と感じた。
今まで読むタイミングは特に気にしてこなかったものの、これを機に、毎年夏に読むのも良さそうだなと企んでいる。
ひと夏の物語を綴った作品
そもそも『グレート・ギャツビー』は、語り手ニックに起こったひと夏の出来事を綴っている。彼が引っ越してきた家の隣には、「ギャツビー」という謎の人物が暮らしており、しょっちゅうパーティーが繰り広げられている。
ギャツビー邸からパーティーの盛り上がりが見えるのは、やはり窓を開けて開放的に騒げる季節だからだと思う。夏ならではの賑やかな雰囲気が、物語に彩を添えている。
隣家からは、夏の夜をとおして音楽が流れてきた。青みを帯びた庭園には、男たちや娘たちがまるで蛾のように集まって、ささやきや、シャンパンや、星明かりのあいだを行きかった。午後の満潮時に客たちが浮き台のやぐらから海に飛び込むのを、あるいは熱い砂浜で日光浴をするのを、僕は眺めた。
『グレート・ギャツビー』p.77
前半の華やかな空気感ももちろんだが、後半の儚い雰囲気も、夏の終わりを感じさせる切なさがある。賑やかな季節が終わっていく様子と、物語が佳境に入って行く様子がうまく重なり合って、寂しさや悲しさ、“終わる”という感覚を私たち読者は味わう。
このほか、夏にまつわる描写も存分に含まれているが、個人的にはニックの友人・ジョーダンの独特の表現が好きだ。
みんなが町から出て行ったニューヨークの夏の午後って、私は好きだな。そこには何かしら肉感を揺さぶるものがあるの。熟れ切っているというか、まるでいろんな愉快なかたちをした果物が、両手の中に片端から落ちてくるみたい
『グレート・ギャツビー』p.227
ニューヨークには行ったことがないし、当時の夏の午後の様子はもっとわからない。それでも何となく、街の熟した雰囲気を感じ取れる気がする。不思議でユーモアにあふれた表現だと思った。
夏を想像させるアイテムの数々
細かいところで言えば、あちこちに夏の爽やかな様子を感じられる描写があり、それらを読むのも楽しい。
例えば、ギャツビーは水上飛行機を購入し、乗り回している。ニックに「試乗しないか」と誘ったり、水辺を優雅に移動している様子も見られる。
あるいは、レモネードやシャンパン、ミント・ジュレップなど、夏の乾いた喉を潤すドリンクがたくさん登場するのもいい。
特にニックの友人・トムがジン・リッキーを持ってくるシーンは涼し気。「グラスの中には氷がたっぷり入って、からからという気持ちの良い音を立てていた」(p.212)という一文に、ついついこちらの喉が渇いてしまう。今度はジン・リッキーを飲みながら読もうかなあ……
もちろん、好きなタイミングで読むのが一番であるが、季節によって読む本を替える、というのも悪くない。また来年の夏、『グレート・ギャツビー』を読み返すという楽しみができたのであった。
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