英語×日本語の不思議と面白さ。「MONKEY」vol.12「翻訳は嫌い?」

翻訳作品に抵抗がある、という人は意外に多いような気がする。海外文学が好きだと言った際に「翻訳が苦手」と言われたこともあるし、英米から影響を受けた日本作家の作品(つまり、“英語っぽい”文章)を「何となく好きになれない」という友人もいる。

だから「MONKEY」vol.12の「翻訳は嫌い?」という特集は、翻訳作品が好きな私にとっても、なるほどなあとしみじみ頷いてしまう企画であった。

英語と日本語は作りが違う、だから面白い

英語と日本語が全然違う。それは私にももちろん、わかっている。しかし、改めてこんなにも違うのか、と驚いた。「日本翻訳史 明治篇」では、村上春樹さんが『風の歌を聴け』の最初の数ページを英語で書き始めたエピソードが、柴田元幸さんにより綴られている。

生まれて初めて小説を書いてみたはいいが、いかにも日本文学という感じがして嫌だなあと思った村上さんは、オリベッティのタイプライターを引っぱり出してきて、書き出しの数ページを英語で書いてみた。そうすると、凝った表現を使えず、シンプルに語らざるをえない。それで日本文学臭さを抜くことができて、自分のスタイルに行き着くことができた

「MONKEY」vol.12「日本翻訳史 明治篇」p.16

ちなみにこの手法は、かの二葉亭四迷も行っているそうだ。外国語に置き換えることで、当時のオーソドックスなスタイルから抜け出す。言語の作りが大きく違うからこそできる手法で興味深い。

あるいは、日本語にない「コロン」「セミコロン」の話。それぞれ明確な役割があるものの、日本語にはない存在。ゆえに翻訳するときは工夫が必要になり、柴田さんは「わりあいダッシュをよく使いますが、ダッシュ自体もたいていはダッシュで再現するから、下手をするとダッシュだらけになってしまうんですよね」(p.22)とおっしゃっていて、ハッとした。読者の私が何にも気にせず読めているのは、翻訳者さんの技術のおかげである。

また、「本当の翻訳の話をしよう|翻訳講座」では、村上春樹さんと柴田元幸さんの翻訳にまつわる対談があり、一人称の話や、同時代の作家を訳す難しさとリスクについて語られていて、こちらもかなり面白かった。確かに10年前と今でまったく違う評価の作品もあるし、今を生きているということはつねに変化を伴う。

翻訳は大変な作業だと思っていたけれど、私の知らない大変さ(そしてここがたぶん、面白さでもある)が、たくさんあるようだ。ただ、翻訳作品に苦手意識がある場合に、こうした言語の違いや翻訳する際の工夫を知ることで、面白く読める可能性があるのでは? と思った。少なくとも私は今回得た知識で、より翻訳作品を楽しめるようになった。

何かを読んで、考え、表現するのは“翻訳”?

伊藤比呂美さんの「My Love 鴎外先生」では、日本語から日本語の翻訳や「翻訳」という行為そのものについて語られていた。特に下記の言葉は、心に沁みた。

トランスレーションについて考えていると、我々が生きて、何かを読んで、感じて、あるはそれを表現するというのは、全部トランスレーションなのではないかという気がしてくるのですが、どうですか。

「MONKEY」vol.12 「My Love 鴎外先生」p.77

まさに、そうだと思う。最近ふと、シェイクスピア『ロミオとジュリエット』や『ヴェニスの商人』の日本語訳を読むとき、翻訳の翻訳を読んでいるのではないか、と考えたことがあった。シェイクスピアが表現した(つまり翻訳した)イタリアを、さらに日本語に翻訳して読んでいる、という具合に。日本語の翻訳には当然、訳者の解釈が介在している。

私が本の感想を書いて公開する時も、たぶん私はその本を自分なりに解釈して、表現している。これもある種、翻訳行為ではないかと思うのである。そう考えると、人生のありとあらゆる行為は、翻訳ではないか? という意見にウンウン、と頷いてしまう。誰しもがあらゆる出来事を、自分なりに解釈して表現しているということではないか。

日本語から日本語への翻訳も、当然その訳者の解釈を伴う。もう一つ気になったのは、町田康さんの『宇治拾遺物語』の訳の話。伊藤さん曰く、「息子が『マジですか』とか言って、お父さんが『マジだ』とか返してたの。それがものすごく、ものすごく面白かったんです」(p.85)とあり、斬新な訳にびっくりした。めちゃくちゃ読んでみたい……!

斬新な訳、枡野浩一さんの『石川くん』を思い出す。本当に啄木が「身のまわりにいる友達」みたいに思える訳で、読んでいてついつい笑ってしまった。「啄木、しっかりしろ!」と偉人に対して初めて友人のように突っ込んだ。

このほか、小沢健二さんのエッセイ「日本語と英語のあいだで」も、好きだ。日本語ならではの表現「擬音語」の話がユニークであった。「日本は狭いと言うけれど、擬音語の遊び場はとても広い」(p.90)という表現がすごく素敵。

翻訳作品、好きな人が増えるといいなあ……こんなにも面白いのになあ。

もっと海外文学の記事を読む

⇒海外文学の記事一覧はこちら

もっと雑誌の記事を読む

⇒雑誌の記事一覧はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUT US
ひまわり
食べること・読むことによって自分を満たすタイプの人間。 食と本にまつわる雑感を日々記録しています!