夫婦間の特殊な関係性を解く。江國香織『スイートリトルライズ』

夫婦って、すごく不思議。それまで他人だった誰かと、急に家族になる。そこには恋愛関係とも、友情関係とも違う、新しい関係性が生まれていく。在り方は十人十色、千差万別……

江國香織さんの小説『スイートリトルライズ』は、瑠璃子と聡、二人の夫婦の物語。彼らもまた、彼らだけの関係を築いている。傍から見ればへんてこで歪かもしれないが、彼らにしかわからない絆のようなものがあるのだろうなと感じる。

穏やかな夫婦関係に垣間見えるズレ

瑠璃子と聡の夫婦関係は、傍から見れば実に穏やか。それぞれの趣味や仕事を大切にしながらも、コミュニケーションを欠かさない。瑠璃子は仕事に出ている聡に毎日電話し、聡は出るか、出られずともかけ直す。

ところが、瑠璃子はこれを「愛」だとは思わない。毎日電話をするほどなのに、「聡の声をきいても瑠璃子は幸福にならなかった。嬉しくさえならない」といい、なぜ電話をしてしまうのか、「自分にさえ説明がつかない」(p.54)のだという。

一方の聡は瑠璃子の要望に逐一応えるものの、本音を言わず、頻繁に部屋にこもりきりになる様子も見られる。

読み進めていくうちに、瑠璃子と聡の不思議な夫婦関係に呑み込まれていく。彼らのコミュニケーションは、節々でズレているように感じる。お互いに相手のことをよくわからないと思っているし、執着するがそれが愛情かは疑わしい。

それなのに、なんとなくこの二人には共通の意思感覚があるようにも思える。第三者にはわからない、二人だけの関係性が見えるのだ。

私は彼らの関係性すべてに共感できるわけではない。ただ、「夫婦ってこういう一面があるな」とは感じた。一緒に暮らしていくうちにいい部分も悪い部分も呑み込んで、少しずつ、他人には理解しがたいオリジナルの関係性を作っていく。

“飢餓”を埋める恋人の存在

聡も瑠璃子も、お互いだけを愛し続けたいという気持ちがある。その一方で、実際には満たされない“飢餓”の部分があり、それを別に恋人を作ることで埋めようとする。

互いの知らないところで恋人を作りつつも、瑠璃子は友人に「ほんとうは、夫だけを愛したいの」(p.132)と打ち明け、聡は恋人のしほといると「なぜだか瑠璃子のいいところばかり思い出す」(p.127)という。

瑠璃子のいいところ。美人で、よく気がついて、頭がいい。人見知りがはげしく、他の人間に対して用心深い分、聡にだけは怖いほどの信頼を寄せている。おこらないし、騒々しくない。こうしているあいだにも、瑠璃子が自分の帰りを待っていると思うとはやく帰りたかった。

『スイートリトルライズ』p.127

また、しほは聡と瑠璃子の夫婦を「違いすぎる」といい、「違いすぎると大変ですよねえ」(p.182)という。聡はそれに「そのとおり」と思いながらも、自分と瑠璃子には「しほには絶対にわからないであろう」(p.182)類似性があると考えている。

このような複雑な関係を見ていると、瑠璃子にしろ聡にしろ、恋人を作ることで飢餓を埋めるだけでなく、互いの存在意義を再確認しているのかもしれないと感じる。他人から見れば褒められたことではないだろうが、二人の切実さを簡単に否定することは、私には難しい。

あっけらかんとした絶望と、それでも必要なパートナー

同作の最も印象的な部分は、もしかすると冒頭かもしれない。

冒頭にて、ふいにじゃがいもの芽について考え始めた瑠璃子は、芽に含まれる毒「ソラニン」を思い出す。それから芽を佃煮にしようと思いつき、「仲よくそのつくだ煮を食べ、二人で仲良く死んだらそれはつまり無理心中ということになるのだろう」などと空想する。

彼らは仲が悪いわけでもなく、何かに追い詰められているという状況でもない。しかしこの空想から始まる物語にはなんだか、“あっけらかんとしている絶望”のようなものを感じる。

夫婦として望む形があり、それが一番いいと思いながら、自分たちはそうできないことを知っていて、心のどこかで絶望しているのではないか。それでも互いを必要としていて、ままならない気持ちをひっそりと抱えて生きているのではないか。

瑠璃子と聡の関係は特殊かもしれない。この関係性を咎める感想も見かけたし、その気持ちも十分理解できる。ただ、私は彼らなりの夫婦の在り方を見た、と考えている。彼らは彼らなりに相手を思い、必要とし合っているのだなと、じんわりと感じるのであった。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。