角田光代さんはエッセイ『世界中で迷子になって』の中で、20代の旅について「20歳の私になかったいちばん大きなものは、余裕だったと思う」と綴っていた。
何かしなきゃいけない、と私は思いこんでいた。何か体験しなくちゃいけない、何か見なくちゃいけない、何か味わわなくちゃいけない、何か買わなくちゃいけない、充実した旅にしなければいけない、だってこんなに遠くにきたんだもの。そういう思いがあった。
『世界中で迷子になって』p.20
共感が強い。私の20代までの旅もまさに、そんな感じだった。
10代、20代の頃、たくさんの旅をした。場所は近い場合もあるし、遠い場合もある。どこに行くにせよ、とにかく「知らないものを知る」ことが目的であった。
行ったことのない場所を訪れ、見たことのないものを見て、会ったことのない人に会う。知らないものが多いと自覚していたからこそ、いろんなものを吸収していかなければと強く感じた。
思えばそれは、先述の余裕のなさであったのかもしれない。知らないから、わからないから、充実させなければならないと思っていたのかもしれない。
何もしない旅に、心地良さを感じるようになった
しかし、30代に突入したあたりから、私の旅はまったく違うものになった。「知らないものを知りたい」という原点はそのままではあるが、予定を入れない日も存分に含むようになったのである。
日中出かけたら、夜はホテルでのんびり休む。夜だけふらっと食事に行く。もはやどこにも出かけず、ホテルステイのみを楽しむことすらある。
年齢を重ねる中で、「20代のときみたいにがむしゃらに動けない!」というちょっとネガティブな理由もなくはないが、全体的に「ものごとを整理する時間を持ちたい」「自分を労わる時間を持ちたい」という気持ちが増えた気がする。
つまり、20代の頃に比べて「余裕」ができてきたのではないかと思う。
今はわざと予定を詰め込まない。かわりに、シンプルに体や脳を休ませたり、行った場所や出会った人についてぼーっとしながら反芻したり、誰かと話したり、ブログを書いて脳内を整理したり……余裕をもって、一つ一つの出来事を思い返すようになった。
「若いときにしかできない旅があるように、大人になってからでしかたのしめない旅というのもたしかにある」(p.23)。きっと40代、50代、60代も、そのときの私らしい旅があるだろう。
同書の言葉を思い出しながら、その時々で、自分のいちばん満足できる旅をしたい。
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