年を重ねることをどう楽しむか? エッセイ『わたしの容れもの』角田光代

最近極端に視力が落ちた。ショック。もともと目は悪いほうだったけれど、まさかアラサーの今、さらに落ちるとは……仕事上、やたらとパソコンを見ているから仕方がないかも、と思いつつ、どこかで「いやもしかして年齢のせい……?」などと疑っている今日である。

そんな中、『わたしの容れもの』に出会えたのはありがたい奇跡と言うべきか。本書は著者の角田さんが年齢とともに感じる体の変化を、率直に、ときにユニークに綴った一冊。人生の先輩を拝むようにして読んだ。

体力、食欲、読書力……年齢による変化いろいろ

10代や20代の頃に比べて、どんどん自分が変化している。良くも、悪くも。まわりでもよく聞くのは体力の低下。まあ今ものすごく体力が必要かと言われればそんなこともないけれど、それでも疲れやすくなったなと感じてちょっと悲しい。

本書によれば、角田さんのまわりには30代半ばあたりで運動を始める人が多いらしい。しかも「それまで運動と縁のなかった、『走るのなんてまっぴらごめん』系の人ばかりだ」(p.46)というから、何となく納得がいく。運動が好きというより、体力をつけたい、健康を維持したい、というところから来ているように思う。そしてまんまと私も最近、運動、気にしてます。

角田さんは「三十三歳でボクシングジムに通いはじめ、三十七歳でランニングをはじめてしまったものだから、若いときよりずっと体力がついた」(p.7)とあり、羨望の眼差し。私もこうありたい。

このほか食欲の変化などについても語られていたが、個人的に気になったのは読書力の低下の話だった。読書する習慣はそのままでも、読むのが遅くなってしまったのだという。

ドストエフスキーとかトルストイとか、ああした分厚いものを、ちびっこい字で読む、しかもむさぼるように読む、短期間で読み終える、というのは、若いときにしかできない読書だ。大人になって読み返して、こんなものを高校生が理解できたはずはないではないか、と思うのだが、理解力で読んでいたのではない、体力で読んでいたのだ。

『私の容れもの』p.92

わかる、非常によくわかる。私は大学生の頃に、名作と評される古典を片っ端から読んでいたが、あれは本当に体力で読んでいた。今はもっと時間をかけて読まなければ、自分に染み込んでこない。もちろん、理解力は今のほうが深まっているので、その点においてはほっとしている。

それでも変わるのって面白い!

やれ視力が悪くなった、やれ体力が衰えた、読書が進まない……めちゃくちゃに言っといてなんだが、私は実のところ、年齢を重ねることを楽しみにしている節がある。確かに失うものは多いかもしれないが、その分知識と経験が増えていくことには、何にも換え難い喜びがあるからだ。

本書に書いてある「新しい自分が、古い自分より『できない』ことが増えたとしても、やっぱり新しいことは受け入れればおもしろい」(p.9~10)には、すごく共感する。

また、一方で「失ってよかったものもある」という話にも気づきがあった。

角田さんは自意識、特に容姿コンプレックスがどんどんなくなっていっているとのことだった。言われてみれば私も、他人にどう見られるかを気にする癖が年々なくなって楽になってきている。それは確かに加齢によるものかもしれず、改めて年齢を重ねて良かったなと思えた。

本書を読んで、年齢を重ねることを、一層楽しんでいきたいと感じた。変わるって面白い。そう思えるよう、一日一日を愉快に過ごしていくのみである。

もっとエッセイの記事を読む

⇒エッセイの記事一覧はこちら

もっと読書感想の記事を読む

⇒読書感想の記事一覧はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUT US
襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。