遠くに住んでいる人を、近くに感じるようになった日。『グアテマラの弟』片桐はいり

片桐はいりさんのエッセイ『グアテマラの弟』は、グアテマラに移住した弟の話が綴られている。もともと仲良くなかったはずなのに、遠くに住むことで逆に連絡を取るようになり、ネットで電話できるようになってからは、近所の家族よりも顔を合わせているという。片桐さんが実際にグアテマラに赴いたエピソードも面白く、楽しく拝読した。

遠くに暮らす人とコミュニケーションをとる日々

片桐さんと弟は、子どもの頃からあまりコミュニケーションを取らない関係だったらしい。弟さんの解説にも、「学生時代からしばらく姉とはすれ違いでお互い何をやっているかも知らない時期があった」(p.201)といい、その理由についてもある程度述べられているが、年子のきょうだいを持つ私としては共感があった。我が家の姉弟仲はすこぶる良いものの、正直紙一重で仲は悪くなっていたと思う。特に思春期のあの「○○の姉」「〇〇の弟」という肩書は、良くも悪くも作用するので……

それはさておき、この姉弟仲が、弟のグアテマラ移住によって改善された、というエピソードがかなり好きだった。

今やパソコンをノックすれば、まるで隣の部屋にいるかのように、「なに?」と弟が出てくる。どうでもいい世間話をだらだらとくりかえしている。同じ家に住んでいた時は、口もきかなかったというのに。

『グアテマラの弟』p.18~19

実は私も現在、最近遠くの友人と頻繁に連絡を取り合うようになっている。

「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があるように、遠くに暮らすとどんどん疎遠になっていくし、なかなか頼ったりできないように思っていた。ところがコロナ禍になって、オンラインコミュニケーションが発達していった結果、「遠くに住んでいようが近くに住んでいようが直接会うのは難しい」という状況に陥り、「そういえばあの人は何してるんだろう」と遠くの人に連絡するケースが増えたのである。

私の場合は、地元に暮らす高校の友人たちや、今や全国に散り散りになった大学の友人たちと、朝や夜、時間の空いたときにオンライン通話で連絡を取り合っている。結婚の有無や子どもの有無などで生活スタイルが変わってしまい、合わせにくくなることもあったが、オンラインであれば家族がいてもできるし、途中で抜けてもいいし、好きなときに始めて終われるので楽。

片桐さんと弟さんもきっとこういう感じなんだろうなあと、勝手に察する。遠くの知人との連絡は、思った以上に気軽で安心感があるのだ。

未知のグアテマラ事情を垣間見る

実際にグアテマラを訪れ、弟の生活事情を知っていく過程も楽しい。特に、とにかく両親に弟の実情を知らせなければと、躍起になって弟の暮らしぶりを観察する様は愉快。

わたしは設置したばっかりのファックスから、グアテマラにおける弟の暮らしぶりの詳細なレポートを、日本の両親に書き送った。家の隅々まで写真におさめ、スペイン語学校の仕事風景や、台所で奥さんの洗い物を手伝う弟の様子などを、こっそり盗み撮りをした。弟は複雑な表情をして、わたしのことを、スパイ、と呼んだ。

『グアテマラの弟』p.14

それに加えて、印象的だったのはグアテマラの生活事情である。グアテマラ、行ったことはないし、情勢もほとんどわからない。しいて言うなら、コーヒーが美味しい国……? 豆の産地では見たことがある、というレベル。

本書によれば、まず、弟さんの家にはお手伝いさんがいるらしい。ところが、お金持ちがメイドを雇うというのとはちょっと違うという。なぜなら雇っているというより、“仕事やお金を貯め込まずに人に回す”という感覚だから。

少しでもお金に余裕があれば、貯め込まずに人に使う。少しでもやってもらえる仕事があれば、貯め込まずに人に回す。彼らはなにやら、少ないお金と仕事をみんなで分け合っているようなのだ。

『グアテマラの弟』p.81

個人的には、すごくいいなあと思った。日本で言うならば、家事代行?(これも“雇う”感覚に近い人が多そうなので、強いて言うならではあるが……)。最近は「ココナラ」のような自分の特技を売り買いするサービスもあるし、日本においても、近い感覚を持ち合わせている人はいると思う。ただ、世間全体には染み込んでいない。政治しかり、経済の動きしかり、日本がまるっとこの感覚になることはなさそうで悲しい……

そして何より驚いたのは、日本ではこんなにコーヒー産地として親しまれているのに「現地のコーヒーはまずい」という話。

どこで出てくるコーヒーも、旅行者にとってはコーヒーと認めたくないような飲み物ばかりなのだ。熱い麦茶? しかも香りの飛んだペットボトルの。そんなあんばいである。アンティグアでも。普通に町なかで飲むコーヒーはどこの店のも色だけ濃く出た麦茶。

『グアテマラの弟』p.189

片桐さんがグアテマラの食生活で唯一恋しかったのは、なんとコーヒーで「それ以外他に不足は思いつかない」(p.191)というから笑ってしまう。現地で美味しいコーヒーを飲んでみたいという私の野望は、完全に消え去った……

ただ、読んでいる限り、現地では暮らしに当たり前にあるもので、お金をかけたり、時間をかけて作ったりするものではない印象だった。美味しい・美味しくないを判断する必要すらない、シンプルな生活必需品なのかも。

ちなみに、弟さんは解説にて、本書のことを以下のように記している。

良い事よりも、悪い事の方がニュースになりやすく、どうしても日本に伝わるグアテマラの情報は災害などの悪い事が多い。この本のように明るい話が日本語の活字になるということは、グアテマラに住んでいる日本人としては大変うれしいことだ。

『グアテマラの弟』p.203

私も、思いがけなくグアテマラを知ることになった日本人の一人である。遠い国の何でもない暮らしぶりを知れるのはやはり楽しいし、面白い。エッセイとしてはもちろん、海外旅行記としても、堪能したのだった。

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