『僕の休日は誰かの平日』は、いろいろな人が「8月8日」の日記を書いたアンソロジー。
日記って本当に個性が出るんだなと、改めて思う。皆同じ一日を書いているのに、出来事や感情がそれぞれに違うのはもちろん、書き方も分量もさまざま。一つとして同じものはない。
スーパーに行ったり掃除したりと日常を過ごしている人、「特になにもなかった」と明記する人、ワクワクしている人、落ち込んでいる人、結婚する人、別れる人。同じ節目を過ごしている人たち同士でも、その感じ方は真反対だったりするから不思議だ。
私の悲しい日が、誰かの幸せな日だったら嬉しい
誰かの特別で嬉しい日は、誰かの悲しい日だったり、怒りたくなった日でもある。逆に言えば、私が落ち込んでいる日だったとしても、誰かにとっては幸せな日だったかもしれない。そう思うと、ちょっと救われる気がする。
佐藤徹夜さんの一節が好きだった。
きっと僕がこんな日を送っていた今日、どこかで誰かが別れたり結婚したり、子供が生まれたり、してるんだろう。愛が失われたり友情が育まれたり新しい命が生まれたり誰かが死んだりしてるんだろう。
『僕の休日は、誰かの平日』p.61
いつかそんな人たちと、分かり合える日が来るんだろうか。
読み終わってから、この本のユニークな意図に気付いた。私の特別な日もきっと、誰かの何でもない一日だったろうし、何なら最低最悪の日だったかもしれないな。
伊藤佑弥さんのあとがき「たぶんこれからも変わらないようで変わっていく日々は続くのだと思う。そしておそらく誰かの日々も続いているのだろう」(p.109)が心に残った。当たり前だけどかけがえのないこと、立ち止まらなければ気づかないことが、本書には詰まっていると感じた。
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