高峰秀子『おいしい人間』。ときにおかしく、ときに愛おしい人間の話

『おいしい人間』と聞いて、勝手に食べものの話だと思っていたら、おかしくも愛おしい人間の話だった。女優・高峰秀子さんが出会ったさまざまな人、そしてご自身や夫さん、ご家族のエピソードが綴られている。

……とはいえ、読み終えてみると食の話も多くて、「おいしい」はこちらにもかけられているのかな、と感じた。世界各国の食の話から自宅や友人宅での料理の話、思い出の食の話などもりだくさんであった。

日本食を愛したレオナール・フジタ氏との交流

突然だが、私はレオナール・フジタ(藤田嗣治)作品のファンである。作品展にも何度か伺っているほど。ただ、私にとっては歴史上の人物に近いというか、偉人のような存在。まさか本書にて、リアルに動いている様子を読めるとは……驚きと感動で胸がいっぱいになった。

フジタ氏はフランスに帰化しているし、食生活もフランスに馴染んでいるのかと勝手に思っていたが、どうも無類の和食好きのよう。「芹、三つ葉、生姜に山葵に牛蒡に山椒、独活(うど)に慈姑(くわい)に蕗の薹、高野豆腐や里芋も喰べたいよう」と子どものように並べ立てて笑ったというエピソードは、茶目っ気を感じる。

アパルトマンの地下の物置には、常時、三越から取り寄せるという赤味噌、白味噌の大樽や大量の醤油がストックされているのは知っていたけれど、日本の野山の香気へのラヴコールがこれほどまでだったとは……。

『おいしい人間』p.56

高峰さんもフジタ氏といろんなレストランや旅行に出かけたらしいが「いちばん楽しかったのは画伯のアパルトマンの食事で、やはり『日本食』が多かった」(p.57)とのこと。そうなんだ……なかなか作品展に行ったとて手に入らない、貴重な情報に感謝。

司馬遼太郎氏は「生き甲斐」

作家の司馬遼太郎氏の話も面白かった。レオナール・フジタ氏同様、やはり私にとっては歴史に残る著名人だが、ここでは親しみやすい姿が綴られていて新鮮。高峰さんご夫婦にとって「『生き甲斐』ともいえる御方だと思う」(p.86)といい、そのあまりの人柄の良さに「人間たらし」ではないかというほど。

「旅には終わりがありますなァ。でも、あなたがたとは、これが旅のはじまりだっていう気がするんだ」
どうやら私たち夫婦はこの瞬間に、カチカチ山の狸になってしまったようである。
ああ、この見事な、すさまじいほどの殺し文句。吉行淳之介といえども到底及ぶものではない。

『おいしい人間』p.88

こんなことを言われたら、確かに「着いていきます!」となってしまうかも……

ちなみに、司馬氏はカニ、エビアレルギーだそうで「司馬先生と囲む食膳にエビとカニは出現しない」(p.92)という身近で交流しているならではのエピソードも。食べられないのは可哀想だが、ほっこりしてしまった。

お姑さんとの素敵な関係

ご家族とのお話もいくつかあったが、中でも印象的だったのは「お姑(かあ)さん」との関係性である。

結婚する際、女優の仕事をする高峰さんを気遣い、「折角、結婚なさるというのに、うちが貧乏なのでなにもしてあげられません。あなたに働いてもらうなんて、ほんとうにすみません。ごめんなさいね」と頭を下げてくれたのだという。今までそんなふうに気遣われたことのなかった高峰さんは驚き、「思わず涙がにじんだ」そうだ。

映画の演技以外には他人前で泣いたことも自分の心をみせたこともなかった私は、自分で自分の涙におどろくと同時に、松山善三との「結婚」を決意していた。いや、善三とではなく「お姑さん」松山みつと結婚したかったのかもしれない。私は「お姑さん」の人柄を信じると共に、そのお姑さんに育てられた松山善三という男性を信じた。

『おいしい人間』p.137

お姑さんと結婚したいくらいだと話す高峰さんが、とても素敵。嫁姑はどうしても関係性が複雑になってしまいがちだが、リスペクトを持って接することができる場合だってあるのだ。

本書は高峰さんと“おいしい人間”たちのエピソードが詰まりに詰まっているが、さまざまな人たちと出会った人生を、彼女は「おかげ人生」と呼んでいる。

四十余年という長い間、すぐに心に浮かぶ特定の面影はなくても、数えきれぬほどにたくさんの人たちの恩恵を受けて私は生きてきた。たとえ、それらの全部が「親切」や「愛情」や「教育」でなかったとしても、なんらかの意味で私に問題を投げかけてくれたことに変わりはない。私はそれらの人のおかげで生きてこられた。

『おいしい人間』p.142~143

私の人生も、実にたくさんの人たちとの出会いでできている。いい出会いだったとは言えないものももちろんあるものの、何らかの気付きを与えてくれたと思えば、それは高峰さんの言う「おかげ人生」なのだろう。だとすれば、今後もいろんな出会いとおかげを楽しみに、過ごしていきたいと思ったのであった。

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