阿川弘之『食味風々録』。食の美学、豆知識、そして愛しき食いしん坊の性

美味しいものには目がない。気になる店はたくさんあるし、食べたいものもおそらく死ぬまで増え続ける。グルメといえば聞こえはいいかもしれないが、基本的に興味のあるものは何でも食べてみたい。どちらかといえば「雑食」という言葉の方が、ふさわしいのかもしれない。

そんな中、阿川弘之さんの『食味風々録』を読んでいるうちに、「あれ、意外と私にも食の美学があるかもしれないぞ?」と思うようになった。ご本人はただ食の思い出を語っているだけで、そんなつもりはさらさらないのかもしれない。でも、私は思う。本書は食の美学に溢れている。

私ならどうするか? 個人的な食の美学を考える

『食味風々録』は、2001年に発売された食のエッセイ集。さまざまな食べ物や料理ついての考えと、その思い出について語られている。21世紀に発売されているにもかかわらず、旧仮名遣いで書かれていて味わい深い。また、どの描写もありありとその風景、食べ物の食感や味わいが浮かんでくる。

中でも一番好きだったのが、「ビール雑話」だった。ビールはこうあるべきという、個人的な美学が綴られており、読みながら「私はどうだろう?」と考えるのが楽しかった。例えば、「泡」と「冷え」の究極の選択について。

泡と並んで美味しさを左右するのは冷え。穀物の話に聞えさうな変な言ひ方だが、「泡」(pたつぷりの「冷え」抜きビールと、「冷え」充分の「泡」無しビールと、どちらか選べと言はれたら、みなさんどうなさる。

『食味風風録』「ビール雑話」

む、難しい~!!! ビールにもよる!!! ウンウン唸りつつ、私は「冷え」充分の「泡」無しビール派でいこうと思います。決めました。

食べることは好きだし、飲むことも好きだ。私の知らない美味しい食べ方・飲み方があるならば、いつでも挑戦したいし、自分の好みだけを全面に押し出すことは絶対にしない。だが、考えてみると意外と私にも好みや「こうしたい」という願望があって、それを言語化するのは結構面白いと気づいた。

あるいは「卵料理さまざま」にて、季刊誌「四季の味」の企画「玉子焼き十人十色」という企画を見かけたときのエピソード。阿川さんは個性豊かな卵料理に魅了されつつ、「自分なら何を作るか」と、十一人目の筆者として登場する自分を想像して綴っている。

室生朝子さん始め他の人の品々と較べて、味、見た眼の美しさ、それほど遜色無い何か自己流に拵へられるか、考へた末行き着くのは結局木犀肉(ムーシュイロウ)である。「自己流」と言つてもむろん、本家の中華民国に古くから伝はる家庭料理だが、大学生の頃味を覚え、戦後家庭を持つて以来うちで作ることになり、段々我流に変化してしまつた。

『食味風風録』「卵料理さまざま」

こういう、「自分だったらどうするか」といった妄想は私も大好きである。私だったら卵料理、何を載せたいかなあ……定番料理くらいしか浮かばず、パッと個性的な料理が思いつかないのが悔しい……

ほかにも、「味の素肯定派の旨い物好きと、否定派と、二つに分けるなら、私は肯定派」(p.234)とあり、「私も!」と勝手に同意。食好きが揃って味の素否定派だと思うのは大間違いである。味の素には、味の素の良さがあるのだ。

ここへきて初めて知る豆知識

食の美学や体験談がふんだんに盛り込まれている本作ではあるが、読んでいるうちに「えっ、そうなの!?」と驚くような豆知識がたくさんあり、勉強にもなった。

「サンドイッチ」ではサンドイッチの由来にまつわる話が綴られていた。そこで初めて知ったのが、1963年当時の大英百科事典に、食べ物としてのサンドイッチの記載が無いという話であった。

日本の百科事典は、パンに肉を挟むサンドイッチの、作り方食べ方、詳しく紹介しているのに、大英百科事典(Encyclopaedia Britannica 1963 アメリカ版)には、食べ物としてのサンドイッチについて、一行も記載が無い。名高い命名伝説も無視されている。他方、サンドイッチ伯爵その人の実歴に関しては、詳細な記述がある。「あれえ」と思つた。

『食味風風録』「サンドイッチ」

いやいや、サンドイッチはどう考えても、海外由来の料理である。私もたびたびヨーロッパなどで食べてきたし、まさかない、とは考えられない。阿川さんも同様のことを話していて、頷く。大英百科事典にないなんて……今の記載はいったいどうなっているんだろう。

あるいは、「かいぐん」では、「肉じゃが」の発祥の話があった。舞鶴がどうやら発祥の地らしく、旧海軍の艦上食として作られたのが最初らしい。観光ポスターに書かれていた紹介文が、本書に乗せられていた。

明治34年初代舞鶴鎮守府長官であった東郷平八郎は、イギリスで食べたビーフシチューの味が忘れられず、肉とポテトをベースにした食物を作るよう命じました。日本の調味料である醤油と砂糖で味つけした結果、出来上がったのが肉じゃが、その後家庭へと普及したのが始まりです

『食味風風録』「かいぐん」

び、ビーフシチューから肉じゃがが生まれたのか……意外過ぎる。となると、肉はそもそも牛肉が主流なのだろうか。実家は牛肉だったが、私は豚肉の方が好きで、肉じゃがは豚肉派になってしまっている今である。うーん、久しぶりに牛肉で作ってみようかな。

愛すべき食いしん坊の性

美学や豆知識もとても楽しく拝見したが、なんだかんだで一番心が安らぎ、愛おしいなと感じたのは、食いしん坊の性が見え隠れする部分であった。

「米の味・カレーの味」では、とにかく日常で耳にする言葉が、何でも食べ物に聞こえるという話があった。

その「世の中」が「最中」に聞える。「汚職事件」の前後が聞き取れなくて「お食事券」と間違へる。一々例を挙げればきりが無いけれど、「未だ九時前ぢやない」「又栗饅頭だ」、「三分の一の値段」「サンドイッチの値段」、「エドワード・ケネディ」「江戸川の鰻」――。

『食味風風録』「米の味・カレーの味」

重症である。さすがの私もここまではない。しかし、愛おしい。食べ物のことばかり考えてしまう姿を想像すると、ほっこりする。

また、「福沢諭吉と鰹節」では「かつぶし飯」愛が爆発している。イタリア旅に出た際、数日でイタリア料理に飽き、かつぶし飯のことばかりを考えていたという。ちなみにこのかつぶし飯、吉行淳之介の大好物でもあったそうで、「又あのかつぶし飯食はせてくれえ。あとは何ンにも要らん。出されても食へん」(p.187)と言っていたらしい。

何を隠そう、私も大のかつお節好き。おまけにヨーロッパに行った際、たまらなく和食を欲した経験もあり、共感の嵐であった。

つまりは美学も豆知識も、食べることが好きすぎるあまりに生まれてくる副産物のようなものなのかもしれない。根底にある愛すべき食いしん坊の性が、いろんな方向に作用しているのだと思った。そして、私も例に漏れず人のことはまったく言えない。食があまりに好きすぎて、食にまつわる発見した面白くて素敵なことを、こうしてせっせとブログに書き続けているのだから。

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