本から紐解く「生活」の話。地味で何気ない、けど愛おしい日々の出来事

日々の家事、SNS映えしない食事、わざわざ人に言うことのない小さな習慣……「生活」の部分は地味でありながら、なんだか愛おしい存在である。それゆえに、なのか、何気ない存在でありながら、エッセイや小説の中で取り上げる人も珍しくはなく、私は生活の話を読むのがかなり好きだ。

今回はさまざまな本から「生活」の部分をピックアップし、その面白さや魅力について考えてみたい。

「生活」は面白がれる

私が最初に「“生活”の部分って面白いかも?」と気づいたのは、星野源さんのエッセイ『そして生活はつづく』を読んだときだった。発刊当時(2012年)の星野さん自身が「生活が嫌い」であったこと、しかしそんな生活を「おもしろがりたい」と考えていることを語っており、生活の中で起こった出来事を愉快に綴っている。

私は生活が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんか見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。でも、そこで生活を置いてきぼりにすることは、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。…(中略)…そんなわけで生活をおもしろがりたい。

『そして生活はつづく』星野源

読んだ当初、私はちょうど仕事や遊びといった「外」に夢中だった。ゆえに家での地味な生活は自分にとって価値のないように思えて、無意識に日常から排除しようとしていた。そんな中、同書で初めて「生活が嫌い・苦手」という概念を知り、「私は生活が苦手だけど、本当は好きになりたい」と思っていることに気づいたのだった。

だって生活は何をどうやったって、一生しなければいけないもの。それがもし面白くて楽しかったら、人生はもっと豊かになるに違いないからだ。

コロナ禍の自粛期間を経て、私はかなり生活が好きになった。時間に余裕ができたからか、家事や自分のケアに手間をかけることを厭わなくなり、むしろ「今までなんでこんなにおざなりにできてたんだ!?」と過去を振り返って驚くレベル。価値観がひっくり返った。年齢のせいも、あるかもしれない。

それにしても、久しぶりに読んだらやっぱり笑ってしまう。やることが多すぎて面倒くさくなって「気がつくと私は、テレビのスイッチを押していた」なんて、昔の私だ。今でさえ、ときどき気がついたらYouTubeを見ているときがある。生活が苦手・嫌いな人あるあるが詰まっている。

生活に“そこそこ”手間をかけることが、私の幸福

「暮しの手帖」2020年早春・4号の特集「丁寧な暮らしではなくても」には、随分と驚いた。同誌はずっと、丁寧な暮らしの代表格のように思っていたからだ。自分の暮らしにしっかりと手を掛け、心穏やかに過ごす。バタバタと忙しない日々を送っている私にとっては憧れでありつつ、遠い存在でもあった。

しかし本誌は、初めに「私たちの暮らしは、毎日がそう完璧にうまくはいかなくて、体調がゆらぐこともあれば、気持ちが落ち込むこともあるでしょう」(p.13)といい、自分なりの工夫を凝らし、自分なりの楽しみや喜びを見いだしていくことを提案している。

自分にとっての楽しい暮らしって何だろうと考えてみた。最初に思いついたのは、料理のこと。いつも手間暇かけるのは難しいけど、ある程度時間をとってしたい。料理以外もそうだが、私はたぶん、ある程度自分に手を掛けているという実感があると、幸福度が増す。この「ある程度」が、おそらくミソである。

本誌でもいくつかの料理レシピが紹介されていたが、どれもある程度手を掛けつつ、でも無理はせず、という塩梅で参考になった。例えば、白崎裕子さんのスープ作りのアイデアでは「ミキサーいらずのポタージュ」「焼き野菜のスープ」などの簡単レシピから、スープの風味を変える「味変調味料」の提案まであり、毎日作ることを考えられている。

また、「エプロンメモ」に掲載されていた、絵はがきの話。年々増えていく絵はがきを、絵柄ごとに「春」「夏」「秋」「冬」の4つの缶に分けるというアイデア。私は絵はがきが好きだが、整理は下手で適当にまとめてしまっている。季節別なら使い勝手も良さそうだし、手紙を出す気分にもなるはず。

それにしても、「丁寧な暮らし」の定義も、喜びや楽しみを見つける瞬間も、人によって全然違う。いろいろなアイデアを取り入れながら、自分らしい暮らしを追求していきたい。

「生活」は実に多様で個性豊か

“ノンスタイルなライフスタイル誌”「生活考察」。生活について考えるインディペンデント雑誌である。今回初めて手に取り、vol.6を読んだのだが、この「生活」というテーマの多様性に驚いた。

実際、掲載されているエッセイたちはどれも、一つとして同じ視点はない。仕事について語る人もいれば、日常の何気ない出来事について語る人もいるし、思い出を綴る人もいれば、ふだん考えている雑感について述べる人もいる。

大谷能生さんの「ディファレント・ミュージックス」では、ふいに梅を干し始めたご家族の話がある。聞けば檀一雄さんの『檀流クッキング』で梅干についての項目を読み、「檀のいうことを聞け」という一節から「今年は檀の言うことをきいてみた」という。

実は私もタイムリーなことに、つい最近同書を読んだ。しかし、全くこの部分の記憶がない。インパクトがあって面白い文言なのに、どうやら私は見落としたらしい。同じ本を読んでも、生活への染み込み方が全然違うな、と妙に感心したのであった。

あるいは辻本力さんの「悩ましきバナナ」は、生活の中の偏愛を語ったもの。今回の「生活考察」の中でいちばん好きなエッセイだった。毎朝バナナを食べている、という話はよくわかるが、外出時にお腹が空くとコンビニに行ってバナナを買い、路上で食べるという話にはもう偏愛しか感じない。

太田靖久さんの「『犬の看板』探訪記」。各地で見かける「犬の看板(フンの後始末忠告など、飼い主にマナーを呼びかけるもの)」をとにかく写真に収めて集めているという話だったが、私自身の看板に対する解像度があまりに低くて驚いた。絶対に、人生で何百個、いや、何千個も見かけているはずなのである。なのに、ぜんっぜん気にしたことがなかった。こんなに多様性に溢れていて面白いんだな……これからは散歩中に見かけたら、ついつい眺めてしまうだろう。

すべて読み終わって感じたのは、生活ってなんてへんてこで愛おしいんだ、ということ。私にもたぶん、自分では普通なのに、誰かから見ると変で笑えるとか、感心するとかいったことがあるのだろうな。

「生活」は何気ないもの。気がつけば過ぎ去っていく、些細なもの……かもしれないが、生きていく上で欠かせない時間・作業であり、ときにどんな大事件よりもユニーク、あるいは深刻、あるいは不思議な存在になり得る気がする。たまには自分の生活を振り返ってみると、面白い発見がありそうだ。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。