本から紐解く「出版翻訳」の仕事。翻訳のこだわり、仕事の裏側

子どもの頃から、海外の出版作品にはずいぶんとお世話になってきた。『ハリー・ポッター』シリーズから『プリンセス・ダイアリー』などのYA作品、大学生の頃は古典文学をこれでもかというほどに読んだ。それも大方、日本語で。

つまり、私が海外作品をこんなにも楽しめているのは、翻訳家の皆さんのおかげなのである。それを知る年頃になってからはずっと、出版翻訳の仕事にずっと関心とリスペクトを持っている。

そんなわけで、翻訳にまつわる本も、何かと読んできた。今回はその中から、印象的だった内容をまとめてみる。

ほかの言語へ置き換える難しさ、面白さ

ある言語から別の言語へ翻訳するというのは、ただ単語を置き換えていけばいいというものではない。言語が違うということは、習慣や文化も違うということだから、背景を理解しながら訳していく必要がある。

例えば、「MONKEY」vol.12の「翻訳は嫌い?」では、英語特有の「コロン」「セミコロン」を日本語に訳すことの難しさが語られていた。英語ではそれぞれ明確な役割があるものの、日本語にはない存在ゆえに、翻訳するときは工夫しなければならない。

翻訳家・柴田元幸さんは「わりあいダッシュをよく使いますが、ダッシュ自体もたいていはダッシュで再現するから、下手をするとダッシュだらけになってしまうんですよね」(p.22)と語っていた。しかしながら、私は今まで「ダッシュだらけだな……」という感想を抱いたことがない。それはつまり、そうならない工夫がなされているということなのだろう。読者の私が何にも気にせず読めているのは、翻訳者さんの技術のおかげなのだ。

あるいは、金原瑞人さんの『翻訳エクササイズ』では、同じ英語だとしても、イギリス英語とアメリカ英語でも表現方法が異なるために、日本語に置き換える際に注意が必要だという話があった。

例えば「cornfield」はアメリカ、カナダ、オーストラリアでは「トウモロコシ畑」だが、イギリスでは「小麦畑」を指すし、「football」はアメリカではフットボールだけど、イギリスではサッカー。イギリス英語は好きで学んでいたつもりだったが、jumperが「セーター」を指すこと(アメリカではジャンパースカートやジャンパードレス)は、ここで初めて知った。難しい……

ほかにも、確認せずに訳すと誤訳を招いてしまう事例も多数紹介されており、文化や言語の背景まで知っておかなければならないことがよくわかった。

小説家と翻訳家が交差するとき

小説家が翻訳を行うパターンは、決して珍しくないように思う。翻訳にしろ小説にしろ、言語への深い理解と豊富な語彙力が欠かせないから、小説家が翻訳を行うことは理にかなっているのかもしれない。

私が小説家兼翻訳家で最初に思いつくのは、村上春樹さん。トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』を皮切りに、レイモンド・チャンドラーやフィッツジェラルド、サリンジャーなどの翻訳作品を読み漁ってきた。私がアメリカ文学の面白さと出会えたのは、村上さんのおかげである。

彼の翻訳仕事に焦点を当てた『村上春樹翻訳ほとんど全仕事』では、過去の翻訳作品をたっぷり掲載しているほか、翻訳への思いや作業のスタンスも語られている。特に印象的だったのは、同じく翻訳家である柴田元幸さんとの対談。翻訳と小説執筆の両方を行うことが、相乗効果を生んでいるという話があった。

翻訳をしていると、いろんな新しい体験ができるし、文章の勉強になるし、頭の訓練にもなるし、たぶんそれなりに形になって残るだろうし、おまけに一応はお金になるし、なにしろいいことだらけです。……世の中にこんなに楽しいことはないですよ、ほんとに。

『村上春樹翻訳ほとんど全仕事』より

小説を生みだすのとはまた違った脳を使っているのだろうな、とは思っていたが、確かにほかの作家の文章を別の形で言語化することは、「文章の勉強」や「頭の訓練」に繋がるのだろう。翻訳と小説を両輪のようにして進んできたからこそ、たくさんの素敵な作品が生まれている。そう考えると、翻訳は人の文章を別の言葉に置き換える作業でありながらも「創作」の一面を持っているのではないかと感じた。

翻訳家が抱える、見えない苦労を知る

翻訳作業の裏側を知るのは面白い。「これはそういう意図で訳されているのか」「こういう難しさ(面白さ)があるのか」と上記のような本を読んで楽しんでいる。しかし、「翻訳家」の仕事がどんなふうに依頼され、やりとりされているのかを知ったのは『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』であった。

売れっ子翻訳家だった著者がどのようにして翻訳の仕事を始め、「やめた」のかを綴っている。そう、やめている。やりがいがある反面、大変なことも多かったからだ。本書では出版翻訳家の「天国」と「地獄」が綴られており、特に「地獄」は読んでいて苦しくなった。

予定していた出版日を大幅に過ぎる、出版自体がストップする、報酬を急に減らされる……もちろんきちんと対応してくれる会社もあるが、そうではないケースも少なくないのだろう。本書では裁判沙汰を起こしているパターンも見られたが、翻訳家側がそこまで毅然と対応するなんて、そのガッツに感動した。だいたいは泣き寝入りしてしまうんじゃないか……

そのほか、翻訳家だけでは食べていけない場合が多いから、二足の草鞋を履くべきという話も胸が痛い(ただし、著者はその草鞋を脱ぐことができている! すごい!)。個人的には、翻訳家の仕事は、専門的な技術と豊富な知識が必要となる職人仕事だと思う。そんな職人たちが翻訳だけに集中できるような、適切な報酬と時間を確保できる環境であってほしい……そのために今の私ができることは、翻訳作品を買うことか……

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。