本から紐解く「日本語」の面白さ。味わい深い表現、言葉遊び……奥深い言語の魅力

日本語って豊かだ。ちょっとした状態の違いにも各自ぴったりの表現があって、詳細に言葉で説明することができる。ほかの言語でももちろん同様の楽しみがあるとは思うけれど、私は特に、母国語である日本語に面白味を感じ、愛している。

日本語の不思議でユニークな特徴

日本語の特徴はさまざまにある。中でも、私が好きな点をお気に入りの本と共に紹介してみる。

略語、決まり文句、カタカナ……味わい深い日本語たち

片岡義男さん著『言葉の人生』は、日本語のちょっとした不思議や違和感を取り上げ、見つめ直していく一冊だ。今まで大して気にしていなかった言葉も、「言われてみれば確かに……」と感心し、改めて日本語について考えるきっかけになった。

本書で好きだったのは、略語の話。思ったより知らない、かつ独特な表現が多く、つい笑ってしまった。例を挙げると、「ポロイチ」は「サッポロ一番」、「コレナイ」は「これじゃないなあという感じ」、「ダレヨロ」はダレトクの派生で「誰がそんなものを喜ぶのか」……どれも初耳だった。そのほか「ブンブン」は「セブンイレブン」らしいが、可愛くて「セブイレ」「セブン」より個人的に好き。

あるいは、読めない漢字の話。「紫陽花(あじさい)」や「向日葵(ひまわり)」はすっかり見慣れた難読漢字だが、「無茶を言うなよ、と僕は言いたい」(p.54)という一言ににやける。きっと再三検討したうえで決められた漢字なのだろうけれど、改めて考えてみれば確かに無茶苦茶である。

「食」に関する表現が幅広い

数ある日本語の中でも、「食」を表現する表現は格別だと個人的に思う。食べる前の見た目や香り、食感、舌触り、味わい、喉越しに至るまで、本当に驚くほどの表現がある。

そんな中、『食べる日本語』は、食にまつわる日本語の表現とその由来や活用方法をたっぷりまとめた一冊だ。味わいや香り、調理法などさまざまなシーンで使われる用語がならんでいるが、本書を読んでより実感したのが、日本語のオノマトペは本当に多いということ。

第一章ではそのオノマトペがまとめられているが、その数30個以上。同じ食べるにしても、「ぱくぱく」と「むしゃむしゃ」では違うし、辛さを表すときに「ツーン」とするのはワサビ、「ピリピリ」するのは唐辛子。微妙な言葉の使い分けを、当たり前のように私たちは使っている。

あるいは、私たちは味わいに関する表現を感情表現にも活用するという指摘も目を惹く。例えば、せんべいが水分を吸ってしなっている様子を「しけた」と表現する。これは元気のない様子を表すときにも使う、とか。あるいは、だしの味わいを表す「うま味」は、利益があるなどの際に「うまみがある」とか「うまい話」というように活用する、とか。食べ物×言葉の日本語は、本当に幅が広い。

オノマトペと言えば、「MONKEY」vol.12内コラム、小沢健二さんの「日本語と英語のあいだで」では、息子さんが、“擬音語+する”の形式をよく使用するエピソードが書かれている。「ベーグルをアムする」「枝をポッキンする」「プールの中へドボーンする」……擬音語に「する」をつければ、無限に動詞ができあがるのである。「擬音語は、日本の子どもたちの遊び場。日本は狭いと言うけれど、擬音語の遊び場はとても広い」という言葉が印象的であった。

日本語を集めて、遊んで……言葉を楽しむ方法

誰か物事を説明したり、反対に、誰かから情報を受け取ったり……言葉は暮らしの中で重要な役割を担っている。その一方で、私の人生を豊かにしてくれる「遊び道具」でもある。友達や家族と冗談を言い合ったり、しりとりのように言葉を使ったゲームをしたり。日本語は言葉遊びもまた、楽しい。

まだ見ぬ言葉遊びを求めて

私にユニークな言葉遊びを教えてくれたのは、小説家・スギウラさんの日常を描くマンガ『ものするひと』。スギウラさんは日々文章を書き、言葉について考え、言葉好きの友人たちと言葉遊びを楽しんでいる。

本作を読んでいると、言葉は何て幅の広い遊び道具なんだろうと感じる。ダジャレや韻踏み、しりとり、回文など言葉遊びがさまざまにあることはわかっていたが、自分が知っている遊びはほんの一部なのだと思い知らされた。

いくつか描かれている言葉遊びの中で、特に好きだったものは「たほいや」。ルールは簡単、まず親が広辞苑から適当に「その場の誰も知らない言葉」を選び出す。それから参加者に紙を配り、親は広辞苑に書かれた正しい意味を、子となる他の参加者は、当然意味を知らないので、その言葉の“意味っぽいもの”を書く。

その後、親が紙を集めてシャッフル、通し番号をふって読み上げる。子はその中から正解と思う番号に、点を賭ける。本当の意味を当てた人はもちろん、皆を上手く騙せるような答えを書いた人にも報酬がもらえる。母国語だとしても、聞いたことがない、意味のわからない言葉は意外とあるものだ。まだ見ぬ言葉を探すのも、その意味を皆で推測し合うのも楽しい。

日本語の宝庫・辞書を楽しむ

日本人であっても、知らない日本語はたくさんある。そんな知る人の少ない日本語すらも網羅する辞書は、いったいどのようにして作られているのだろう? 辞書の言葉をどう集め、取捨選択しているかを教えてくれたのは、飯間浩明さん著『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか?』であった。

本書は国語辞書の編纂をしている飯間さんが街を練り歩き、実際に使われている言葉たちを集め、辞書に載せるかどうかを検討する様子を紹介している。辞書に載せる言葉を見つけ出すことを「ワードハンティング」、実際に使用された言葉の事例を集めることを「用例採集」と呼んでいて、その手法がたっぷりと掲載されていた。

思い返せば、普段何気なく目にしている看板、テレビやYouTubeから流れてくるセリフ、友人たちとの気兼ねないおしゃべりに至るまで、言葉は常に溢れ返っている。つまりは注意深く気を付けていないと、皆が調べたい言葉、辞書に載っていて当たり前の言葉を見つけるのは難しいということだ。本書によれば、「1か月に400語前後のペース」で言葉を集めているという。辞書の改訂作業が本格化する時期には「1万数千語」が集まっているそうだ。

実際に集めてきた言葉たちは、ふだんの生活なら見過ごしそうでありながら、言われてみれば「いや、確かにちょっと変だな?」とか「いつからこうだったっけ?」とか、疑問に思うものだらけだった。

印象的だったのは、「〇〇割」の話。「誰でも割」「のりかえ割」「家族割」など、「~割」のバリエーションは、現在も無限に増え続けている。ここでも「スタート割」「ともだち割」などのいろんな「割」が紹介されていたが、多少へんてこな割引でも、「そういう割引か~」と納得してしまう自分がいる。

本当に言葉はあちこちにあって、それを捕まえて、吟味して、辞書に載せるという行為は本当に大変。でもとっても楽しそうで、やりがいに溢れているように見えた。

ひらがな、カタカナ、漢字……たくさんの表現があるがゆえに、日本語は複雑で、味わい深く、ヘンテコで、愛おしい。これからも人生をかけてゆっくりと、日本語の妙を楽しんでいきたい。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。