日々、私たちは言葉を使う。しかし、当たり前にある存在だからこそ、言葉について熱心に考える人は少ないのではないだろうか。
『ものするひと』の主人公・スギウラさんは純文学の小説家。警備のアルバイトをしながら文章を書いている。本作は彼の日常を、淡々と綴っていく。
文章を書き、アルバイトをして、言葉について考え、言葉好きの友人たちと言葉遊びを楽しむ。決して派手な暮らしではないけれど、滋味深く優しい世界観に癒される。
私たちはもっと、言葉で遊ぶことができる
本作を読んでいると、言葉は何て幅の広い遊び道具なんだろうと感じる。ダジャレや韻踏み、しりとり、回文など言葉遊びがさまざまにあることはわかっていたが、自分が知っている遊びはほんの一部なのだと思い知らされた。
いくつか描かれている言葉遊びのなかで、個人的にもっとも面白いと感じたのは「たほいや」である。
ルールは簡単。まず親が広辞苑の中から適当に「その場の誰も知らない言葉」を選び出す。そして参加者全員に紙を配り、親は広辞苑に書かれた正しい意味を、子となるそのほかの参加者は、当然意味を知らないので、その言葉の“意味っぽいもの”を書く。
親はそれを集めてシャッフル、通し番号をふって読み上げる。子はその中から正解と思う答えに、点を賭ける。本当の意味を当てた人はもちろん、皆を上手く騙せるような答えを書いた人にも報酬がもらえる。
大人になっても、聞いたことがない、意味のわからない言葉はたくさんある。ただ、大人になればなるほど、知らないことを恥ずかしく感じてしまいがちでもある。
そんな知らないことを逆手に取って、ゲームにするという発想が面白かった。ライター・編集者仲間とぜひやってみたい遊びだ。
これ以外にも、『ものするひと』にはたくさんの言葉遊びが登場する。まさに言葉好きのためのマンガといえる。
好きなことを仕事にするのは「普通」じゃない?
物語の展開のなかで、個人的には特に、彼が仕事についての考えを語るシーンが印象的だった。
スギウラさんは言うなれば、好きなことを仕事にしている。しかし、それだけでは生活は成り立たず、警備員のアルバイトもしている。作家ではあるが、作家だけで生きていけているわけではない。そんな彼の生活の在り方について、問われる場面がある。
スギウラさんはとあるイベントにて、マンガ家やラッパーなど、好きなことを仕事にしている人たちに出会う。それぞれの仕事の話で盛り上がるも、皆それだけで食べていけているわけではなく、「せちがらいね…」と生活の不安定さを憂う。
そこに追い打ちをかけるようにして、大学生・ヨサノが「就活とかしなかったんですか」と問いかけてくる。これから就活を控える彼女は、彼らの生き方が不安ではないのかと疑問を持ったのだ。そのときは誰も答えらえれなかったが、スギウラさんは後に下記のように語る。
続いていく生活はいつだってひどくこわい
『ものするひと』① オカヤイヅミ
けどさ でもさ
俺が「誰か」が信じて疑わない茫洋とした「普通」よりもずっと怖かったのは
書くのをやめることのほう
「0を1にすることで触れられる世界」を手放すことのほう
私もフリーランスとして好きな仕事をしているので、スギウラさんやここに集った方々のような怖さや不安、それに勝る希望や満足感が痛いほどよくわかる。そしてこの彼の「手放すことのほう」が怖いという気持ちにも、大きな共感があった。
スギウラさんの優しく、穏やかでありながら、時に不安を感じ、それを文章に認めていく姿は、ときに切なさを伴いながらも、総じて心地よい。読んでいるうちに、静かに心が整っていくような感覚があり、折を見ては読み返している。
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