これは動物だけの話じゃない、私たちの話でもある。『BEASTARS』板垣巴留

『BEASTARS』1巻の表紙内側にて、作者・板垣巴留さんは同作を「これは動物漫画のヒューマンドラマです」と語っている。言い得て妙、本当にそうなのである。初めて読んだときの衝撃は忘れられない。この作品は動物について描いている。しかし、現実世界に生きる私たち人間のことを描いているのでは、と思う場面も多々ある。

物語の舞台は、動物たちが通う全寮制のチェリートン高校。草食動物と肉食動物がルールを守って生活していたはずが、草食動物が殺害される事件が起こる。校内にいる肉食動物が「食殺」した可能性が高いとされ、草食動物と肉食動物の間に亀裂が入る。彼らは共存できるのか、できないのか? 本能と理性の間の戦いや絆が描かれる。

肉食動物と草食動物の恋・友情

主人公はハイイロオオカミの男子高校生・レゴシ。イヌ科最大と言われる巨体を持ち、腕力も大きな牙もあるものの、彼自身は非常におとなしく、誰かを傷つけることのない存在だ。

そんな彼が恋をしたのは、小柄なウサギ・ハルであった。彼らの出会いは衝撃的。なぜならこれまであんなにも大人しかったレゴシが、本能的に彼女を食べようとしてしまったからだ。彼の気持ちは恋心か、肉食動物としての欲望なのか? 本人も読者もわからないまま、彼らは彼らなりの関係を築いていく。

ふだんは楽しく話していても、ぶつかることは避けられない。「常に死と隣り合わせの動物の気持ちなんて知りもしないくせに」と怒るハルに、「俺が肉食獣である以上…分かり合えないのは当然なんだ」(5巻)とレゴシが落ち込むシーンは読んでいて苦しかった。それでも距離を近づけていくレゴシとハルの関係が、儚くて、強くて、苦しくて、愛おしい。6巻の隕石祭の後、二人が本能と理性の葛藤を感じながら話す姿が好きだった。

恋愛だけでなく、友情も見どころだ。アカシカのルイは、レゴシやほかの肉食動物とぶつかり合い、語り合っていく中で肉食動物の良いところをどんどん知っていき、彼らへの友愛を感じるようになる。

肉体が強いから懐が深くて…仲間思い
肉に飢えてるからいつもどこか苦しげな表情…
こんな時に…こんなことに気付くなんて
俺は肉食獣が好きだ

『BEASTARS』11巻

一方のレゴシも、ルイを久しぶりに見た際「どうして草食獣という種族は こんなに綺麗な生き物なんだろう…草食獣と共に生きられるなら 守るためならば…俺は…」(13巻)と、彼らとの共存を強く望む。

草食獣と肉食獣は食われる・食う本能の関係がありつつも、友情や愛情によって連帯し、支え合って社会を作っている。私たち人間同士は直接的に「食う」「食われる」関係はないが、本能や欲と別に友愛によって関係性を作り出そうとするところは同じである。本書を読むたびに「私たちの現実の世界でもいえることだな」と感じる。

本能と信念の狭間で生きていく

肉食動物は基本的に、草食動物を怖がらせないように生きている。本能的に欲するはずの肉も食べないし、爪や牙はできるだけ隠して、動物によっては力を抑え込む薬を飲むなどして暮らしている。そこに窮屈さを抱える肉食動物ももちろんいる。

トラのビルは「俺たち肉食が脚光を浴びちゃいけない理由なんてないはずだろ」(2巻)と、肉食獣の強さと欲を隠さないし、草食動物に寄り添うレゴシを「不愉快だ」と言う。しかし、それでも「大丈夫だ お前の考えは正しいよ」と手を差しのべるし、草食動物たちとの友情もかなり大切にしている。

あるいは、裏市の話も印象的だ。草食動物たちの肉を売る裏市では、肉食動物がひっそりと欲を満たしている。ビルやほかの肉食動物たちが初めて裏市に足を踏み入れたとき、レゴシは拒否したが、皆は興味を持って中へ入って行ってしまう。

ところが、ワシのアオバは欲や興味を振り切って戻ってくる。「俺…やっぱり食うなんてできなかった」「周りの草食の友達とか思い出したら もう俺…気持ち悪くなっちゃってよ」(3巻)とこぼすアオバからは、理性と本能の葛藤がありありと伝わって、泣きたくなった。誰も悪くないのに、生きていく上でどうしてもぶつかり、悩まざるを得ない。

これ以外にもあちこちで草食獣と肉食獣の問題は起きる。それは大きなことから小さなことまでさまざまで、私たち人間社会でも起きうることばかりだ。私たちもいつだって、性別、立場などさまざまな属性によって、ぶつかったり、連帯したりして生きている。そんな中、3巻のルイの言葉はかなり沁みる。

僕たちが生きているこの世界はとても複雑です みんなが何かを隠し我慢し 色々なせめぎ合いの中で精一杯生きている そこには正解も不正解もありません
ただ その姿に確かな信念があるならば…そいつには必ず光が当たるべきでしょう 僕はそう考えています

『BEASTARS』3巻

生まれながらに私たちはある程度の属性が決まっている。それは人によって全く異なるゆえに分かり合えないこともある、本能にあらがえないこともあるかもしれない、それでも理性を、信念を、相手を思う心を大事にしたいと思った。

肉食動物・草食動物に分類されない生き物たちのこと

話は主に肉食動物・草食動物の関係性を中心に進んでいくが、個人的に好きであったのは、そこに分類されない生き物たちのことだ。

例えば、学校の警備員・ロクメは蛇で、肉食でも草食でもない存在。ふだんはひっそりと生きていて、姿を見せない。彼がレゴシの前に初めて現れた際「みんなは知り得ないでしょうね…この感情…私は警備員である以前にただのガラガラヘビ 四肢を持たぬこの体の羞恥は一生つきまといます…身を隠すことでしか収拾はつかないのです」(7巻)と語ったのはかなり印象的だった。この社会で蛇は明らかなるマイノリティなのである。

あるいはレゴシの祖父・ゴーシャはコモドオオトカゲ、生まれながらに毒を持つ生き物だ。毒を持っているゆえに世間からは遠ざけられていて、飲食店で目立たない席に座ったり、レジャー施設に出入り禁止だったりする。おまけに毒を持つ生き物は異種族間の結婚が禁止されており、レゴシの祖母のメスオオカミと結婚できず、レゴシとゴーシャは戸籍上は他人となっている。しかし、彼は元気に、陽気に生きていて、その生き様がかっこよくて眩しい。ゴーシャのような人間になりたい……

ほかにも、輪廻転生を信じ「食べて食べられて生死を繰り返す」という概念を持つ海洋生物のサグワン(陸上動物からすれば外国人という設定。言語も異なる)、ヒョウ(肉食)とガゼル(草食)のハーフ ・メロンなど、草食・肉食の概念から離れた存在が多く登場する。彼らの暮らしも絡まり合って、レゴシやまわりの動物たちは、何を大切にし、どう生きていくべきなのかを模索していくのだ。

私たちの世界でも「多様性」という言葉が使われるが、本当の多様性を実現した社会はまだまだ遠い。社会的マイノリティを認める政治は全然行われていないし、私自身もどんなに努力したとて、残念ながら偏見や差別的考え方がおそらく残っていて、それを完全に消し去ることは難しい。しかし、それでも誰しもが生きやすい社会を目指すことは諦めたくない。『BEASTARS』のキャラクターたちのように、もがき、苦しみ、悩みながらでも、日々闘っていきたい。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。