マンガ『フルーツバスケット』のたとえ話に、ずっと救われてきた人間である。
物語と直接関係のない、ちょっとした話なのだけれど、いつも私のモヤモヤとした心に寄り添い、掬い上げてくれる。愛蔵版4巻には、中でも一番好きな話が収録されている。
目の前にある洗濯物から、手をつけていく
主人公の女子高生・透が将来に漠然とした不安を抱え、どうしようもなくなっているとき、保護者で同居人の紫呉が、「洗濯」に例えて対処法を話す。
山のような洗濯物に囲まれて、身動きができなくなったとする。しかも洗濯機はなく、一つ一つ手洗いしなくちゃいけない。全部できるのか、考える度に不安になって行くけれど、時間は過ぎて行ってしまう。こんな時にどうすべきか?
とりあえず足許にあるものから 洗濯してみるといいかもね
『フルーツバスケット』愛蔵版④ 高屋奈月
先を気にするのも大切だけど 先ばかり見てると 足許の洗濯物に足がからまって転んじゃうでしょう?
「今」や「今日」何ができるか考えるのも大切
そうやって一枚一枚洗っていけば なんだかあっけないくらいにアッサリと
お天道さまがのぞいていたりするものだから
それでも不安が込み上げてきたら、一休みする。「本を読んだりTVを観たり みんなで素麺食べたりしてね」と言いながら、紫呉と透、夾が三人で素麺を食べるのである。
仕事や日々の生活のアレコレに追い詰められそうになった時、私は呪文のように、「まずは足元のことから片づける」と呟いている。今、目の前のことを懸命にやる。どうしようもなくなったら、好きな本を読んだり、美味しいものを食べたり、友達と話したりして一旦忘れる。紫呉の洗濯理論は思いのほか、私の人生の、大きな支えになっているのであった。
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