『ユーガッタラブソング』鳥飼茜。どうしようもない息苦しさと、自分を引き留める小さな術

鳥飼茜さんの短編マンガ集『ユーガッタラブソング』。4つのストーリーはどれも、どうしようもない息苦しさや生きづらさを抱える人たちの、何気ない会話や感情の機微が描かれている。それはときに切なく、苦しく、美しい。

このキャラクターたちと私は、まったく違う環境で暮らしているし、苦しさや辛さもまた、共有できるものではない。ただ、感覚としてはすごくよくわかる。誰しもが、誰にもわからない苦しみや不安を抱えている。

明言できない息苦しさの中で、自分を引き留めること

「いきとうと」は結婚して、子どもがいて、持ち家があって……と傍から見れば何もかも満たされているように見え、自分でも「口に出すほどの不満はない」と考えている主婦の物語。しかし、日々募っていく曖昧な息苦しさの中で、ふと夫にそっけない態度をとった際、「家も買えて子どもも私立入れて、お前の友達の誰よりお前は幸せに暮らしとろうが 何が気に入らんと?」と言われてしまう。そして、満たされない気持ちから、ある突拍子もない行動に出る。

口に出すほどの不満はない、それはつまり、心中に不満はあるがはけ口がないということではないか? 他人から見て満たされているように感じる人には、不満を言う権利が無いように映り、苦しかった。そして、残念ながらそう考えている人もまた、多いだろうとも思ってしまう。

また、「家出娘」では、理由はないけど「毎日ちょっとずつ」帰りたくない女子高生の話が描かれる。家出を諦める際、「けど今日は無理やなあ シチューやねん 今日 家」というのが染みる。そういう小さな出来事で、なんとなく自分を今に引き留めているような感覚は、私にも少しわかる。みんな絶妙なバランスで、ちょっとした、でもどうしようもない息苦しさをなんとか消化して生きている。

こうしたテーマは、梶井基次郎の『檸檬』を彷彿とさせる。日々のちょっとした出来事によって積み重なっていく憂鬱、他人には共有できない自分だけの苦しみ、そしてそれを、何らかの行動に移して、小さく発散させていく。

切ないのに鮮やかで美しく、ハッとする光景

鳥飼茜さんの作品は人間の息苦しさやどうしようもなさを書いているのに、どこか美しくて鮮やかで見入ってしまう。

「白鳥公園」では、不倫相手の子どもを身ごもった女性が登場する。アレコレと言い訳する男性としなやかにかつ、毒を刺すようにそれを受け流す女性のやり取りには心がざわざわ・もやもやするが、結末の女性の行動があまりに衝撃的で、とんでもなく美しくて、一瞬息が止まった。

表題作の「You’ve gotta ラブソング」もまた、ハッとするほど情景が美しかった。怒涛の展開に飲まれそうになりながら読み終えたのだった。

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