『舟を編む』三浦しをん。人の一生以上の年月をかけて行う大仕事

最近になって、100年以上続く仕事ってたくさんあるんだなあとしみじみ感じる。何もサグラダファミリアのような大建築だけではなくて、製品やサービス、至るところに人の一生だけでは完成しないものが溢れている。

辞書の編纂もまた、人の一生以上をかけて行う仕事だ。三浦しをんさんの小説『舟を編む』では、そんな辞書作りに懸命に取り組む人々が描かれている。

物語は、出版社の辞書部門に勤める荒木さんが、自身の後継者を探すところから始まる。そして社内を調べて見つけたのが、営業部員の「馬締(まじめ)」。彼は営業部では能力を認められていなかったが、「言葉に対する鋭い感覚」を持っていたからだ。彼を引き抜き、新しい辞書「大渡海」を作る壮大な計画を始める。

言葉の奥深さと面白さを知る

本書では要所要所で言葉にまつわるエピソードが語られる。例えば、「犬」という言葉について荒木さんがつらつらと考えるシーン。「犬」という言葉には、無駄や卑怯な内通者、物事の無意味さを示すマイナスの意味合いもあることや「声」には、季節や時期などが近づく気配を示す場合もあるということなどが述べられる。

今まで何気なく使っていた言葉の意味を改めて考えさせられることも多く、言葉の面白さや奥深さを存分に知ることができた。

あるいは、すでに辞書に書かれている「恋愛」の意味について、馬締が「恋愛の対象を『特定の異性』に限ってしまうのは妥当でしょうか」(p.53)と問うシーンがある。

2023年現在は、恋愛も多様であることが広く知られているし、むしろ「特定の異性」と書くことに反対する人もかなり多いと思う(私も大反対である)。が、本書は2011年発行で、こうした言葉をちょうど検討していた時期なのかもしれないと思うと、世の中の変化や言葉の進化をありありと感じることができる。

今の辞書、もちろん特定の異性に限ってませんよね……? と思っていろいろ調べてみたが、どうやらどちらもあるようだ。うーん……でも特定の異性にすることが恋愛だと定義づけていた時代もあるわけだから、簡単に「じゃあなしにしよう!」というのも違うのかな……難しい……

私は言葉好きであるし、こういうちょっとした意味や解釈についての議論も積極的にしてしまうタイプの人間ではあるが、ハッとしたのは物語の後半にあった「なにかを生みだすためには、言葉がいる」(p.268)という一文だった。言葉に関心がある人もない人も、言葉を使っている人がほとんどである。どんな人にとっても大切なものだからこそ、つねに議論し、改善の余地があるかどうか検討しつづけなければならないのだ。

たくさんの人の手で作られる、「舟」

「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」(p.34)「海を渡るにふさわしい舟を編む」(p.35)と、辞書を熱心に作り続ける人たち。子どもの頃から言葉に関心があり、とことん追求する荒木さんや、言葉に関する感性が鋭い馬締のように、言葉オタクな人たちが集まり、編纂している……が、私が好きだったのは、陽気で言語オタクとは程遠い「西岡さん」であった。

彼は調子がよく、言葉について深く推敲するタイプではない。しかし、西岡さんのような社員もまた、辞書作りに必要な存在であると言える。荒木さんや馬締のような言葉への執着はないし、マメでもないが、自由な発想や着眼点があるからだ。

さらに、辞書作りにのめり込んでいく馬締に「危ういな」と危機感を抱くシーンでは、商品としての辞書について語っている。

辞書は商品だ。のめりこんで作るのも大切だが、どこかで折りあいをつけねばならない。会社の意向、発売時期、ページ数、価格、大勢の執筆陣といったものと。どれだけ完璧を期しても、言葉は生き物のように流動する。辞書は真実の意味での「完成」を迎えることがない書物だ。思い入れすぎては、「ここまでにして、世に問おう」と踏ん切れなくなる。(p.132)

頷くしかない。私も辞書ではないにせよ編集者をしていたから、終わりのない編集の難しさは心底共感する。言葉に熱心になれる人はもちろん、ここまで、とスパッと決めようとする西岡さんのような人がいなければ、辞書は出版できないのだ。

ほかにも西岡さんは執筆してくれる先生方のケアや社外交渉が得意であることも印象的だった。辞書は言葉に執着できる人だけでなく、実にさまざまな人の手が必要なのである。

辞書作りは続いていく

辞書は万能ではない。つねに誰かが言葉を検討し、考え、人の手で作っている。完璧な説明とは言えない部分もある。辞書は一度作り上げたら終わりということはない。つねに改訂や改版作業に追われ続ける。改訂作業は、新たに辞書を作るのと同じくらい時間がかかると書いてあり、驚いた……

どれだけ言葉を集めても、解釈し定義づけをしても、辞書に本当の意味での完成はない。一冊の辞書にまとめることができたと思った瞬間に、再び言葉は捕獲できない蠢きとなって、すり抜け、形を変えていってしまう。辞書づくりに携わったものたちの労力と情熱を軽やかに笑い飛ばし、もう一度ちゃんとつかまえてごらんと挑発するかのように。(p.90)

確かに、ものの数年で言葉がガラッと変わったり、無くなったり、新たに生まれたりするもんなあ……

最後に。海外の辞書は公金を使って作られるが、日本では民間でしか作っていないという話がかなり心に残った。海外は「言語はアイデンティティのひとつであり、国をまとめるためには、ある程度、言語の統一と掌握が必要」と考えているが、日本は政府が「文化に対する感度が鈍い部分がある」と指摘されており、納得……

もっと文化にお金をかけるべきではと、私も思う。そうでなければ、国がやせ細っていってしまう。頼む、私が支払った税金は文化のために使ってくれ~!!!!

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