村上春樹『騎士団長殺し』の免色さんと『グレート・ギャツビー』

村上春樹さんの『騎士団長殺し』に登場する「免色さん」を見た(というか読んだ)瞬間、声に出して叫んだ。「これってギャツビーだ!!!」

村上さんが『グレート・ギャツビー』を「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」の一冊としているのはもちろん、存じ上げている。つまりこれは、オマージュに違いないと興奮した。

ちなみに私は大のオマージュ好きで、オマージュ経由で『ジョジョの奇妙な冒険』にハマった女である……

主人公の家から谷間を隔てて隣に住む免色さんは、豪華な白いコンクリートの建物に住んでいて、毎夜テラスに姿を見せる。謎が多く、なぜか主人公の素性を知っていて、豪華な車に乗って絵を描いてほしいとお願いに来る。「たとえ大型ヨットに乗ってやってきたところで何の不思議もない」(p.116)という一文には笑ってしまった。ギャツビーの水上飛行機を思い出す。

なるほど、ここに来てついにギャツビーのキャラクターを取り入れてきたのか……とわくわくしながら読んだのであった。

その後、川上未映子さんが村上さんにインタビューを行った『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読んだ際、村上さんご本人がそのことに触れている箇所があった。

言うまでもなく、谷間を隔てて向こう側を眺めるというのは、『ギャツビー』の道具立てをほとんどそのまま借用してるし、それから免色さんの造形も、ジェイ・ギャツビーのキャラクターがある程度入っています。(中略)これはいわば本歌取りというか、フィッツジェラルドに対する個人的なトリビュートのようなものですね。

『みみずくは黄昏に飛びたつ』p.185~186

トリビュート!! つまり、称賛や尊敬の意味を込めて借用したということ。やはりそうだったのかあ、と一人にんまりしてしまった。

枠組みや仕掛けの転用ができるものこそ名作

この免色さんとギャツビーの話をするくだりで、もう一つ、印象的な言葉があった。それは、こうして枠組みや仕掛けを転用できるものこそが名作であるのではないか、という話である。

「使い回し」といってはなんだけど、そういう枠組みや仕掛けの移行、転用ができるというのも、文芸名作の重要な条件のひとつかもしれない。そういうことが可能であるからこそ、クラシックと呼べるんだということです。

『みみずくは黄昏に飛びたつ』p.187

これは私も常々、思っていた。名作は構成やセリフ、キャラクターなどに芯があり、再現性があるものも多い。だからこそ繰り返し、誰かの手によって解釈され、別の形で表現され続ける。シェイクスピア作品などは顕著で、映画にもドラマにもマンガにもアニメにもラノベにもなっているし、男女逆転、メタル風などアレンジも幅広い。名言や構成を使っている作品はもはや、数知れないだろう。

そして、使われている名作に気付いた人たちは、ひっそりと「知ってる」を楽しみ続けることができる。私が免色さんのギャツビーっぷりにこんなにも興奮したのは、私が『グレート・ギャツビー』を、そして村上さんが敬愛していることを“知って”いたからである。

次の作品はまた、何かをオマージュしたりするのだろうか。次回作も楽しみ!

もっと私的なコラムを読む

⇒私的なコラム一覧はこちら

もっと読書を楽しむアイデアを探す

⇒読書を楽しむアイデアの記事一覧はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUT US
mae
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。