『漱石全集を買った日』は、古本屋を営む山本さんと、その客である清水さん(本書内ではゆずぽん)の古本を巡る対談。清水さんがどのようにして古本と出会い、ハマっていったのかを紐解いている。
面白い本や古本屋さんが知れるかなあと軽い気持ちで捲ったが、あまりの奥の深さに途中から抜け出せなくなり、私までどっぷりと古本の沼に浸かってしまった。これはただの対談ではない。古本を巡る壮大な物語である。
人が沼にハマっていく瞬間を知る
清水さんはこれまで買った本を全部残しており、買った順番をノートに記録しているらしい。本書れはそれらを順番通りに写真に収めて公開しつつ、それをもとに「人がどのように本を読んでいくのか、どんな順番で読書の幅が広がっていくのか」を紐解いていく。
わかるなあと共感したのは、芋づる式に読みたい本が増えていくという話。読んだ本と同じ作者、同じテーマ、引用されている本などなど、読んでいくうちに読書の幅が広がっていくのはもはや、本好きあるあるではないか。
読書は数珠繋ぎみたいなところがあるので、一冊読んだら自然と次の本が決まってきますね。どんどん興味の幅が広がっていくというか。本の中で別の本が引用されていると次はそっちを読んでみたくなったり、内容のある一つの項目が面白くて、少しずつ興味のジャンルがずれていったりとか。
『漱石全集を買った日』p.45
本好き同士の話では、「本にハマっている」というのは大前提と言える。何の本が好きとかどういうジャンルが好き、という話はあれど、「どうやって本にハマったか」はなかなか聞く機会がない。人がハマっていく過程を知るのは、なかなかに楽しかった。
新しい読書の楽しみ方を発見
古本の沼に使っているお二人だからこその、ユニークな会話もたくさん詰まっている。個人的には、本書から新たな読書の楽しみ方を多く学べた。
例えば、「全集を読んだほうがいい」という話は新鮮。清水さんが『「知の技法」入門』を読んだ際、「誰でもいいから全集を読むといい」というアドバイスを見かけたという。
「一人の人間の思考がどこまで到達できるのか、ということを頭と身体で実感することはとても大切で、全集を読むことでその体験ができる」というようなことが書かれていて、「よし、そういうことなら誰か読んでみるか」という気になりました。
『漱石全集を買った日』p.70
好きな作家の全集を読むというのはわかるし、私も触れてみたことはある。しかし、確かに全集はその人の集大成という一面もある。誰かの到達地点を知ることができるという考え方は、かなり納得した。いっそ、今まで読んだことのない作家の全集を読んでみたい。
あるいは、古本ならではの魅力として「字体」があるという話も面白かった。古書ゆえに古い字体で書かれているものもあり、それは「当時の空気を感じさせるような味わいがある」という。
いってみれば字体だけではなく、古い本には当時の空気が収められている。総長もそうですし、紙質や印刷もまったく違います。本が違えば読んだときの感じ取り方が変わってくる気がします。たとえて言うなら、料理でも器が変われば味の感じ方が違ってくるのと同じじゃないですがね。
『漱石全集を買った日』p.82
本の楽しみ方は内容だけに限らない。字体も、紙の質感も楽しめるとなると、もう一生をかけてもこの沼からは抜け出せないだろうな、などと思ってしまう。
ちなみに清水さんは、夏に古本屋をまわりすぎて、知人に「日焼けしたね。海でも行ったの?」と言われたそうだ。すみません、笑ってしまいました。まさか古本屋だとは思わないだろうな、私なら絶対思わない。
本書のおかげでまた一歩、ずぶりと本の沼に入り込んだ。読みたい本リストもまた増えてしまったなあ……
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