美しい文章に焦がれる『STORNER(ストーナー)』ジョン・ウィリアムズ。ある男の生涯

ジョン・ウィリアムズの小説『STORNER(ストーナー)』を読み始めて数ページ、あまりの読み心地の良さにため息を漏らした。なんて美しい文章なんだろう。一瞬一瞬の光景が鮮明に浮かぶ、緻密な描写。それらから浮かび上がるキャラクターたちの感情の機微。イアン・マキューアン氏が「美しい小説」といい、ニューヨーク・タイムズが「完璧な小説」と評する理由がよくわかる。

学ぶことの喜びを知り、世界を広げていく

本書は、ウィリアム・ストーナーという男性の生涯を綴った物語。農村で育ち、農業をして生きていくと思っていたストーナーだったが、ひょんなことから大学に入学し、学問の道へを歩み始める。それまで閉ざされていた彼の世界が一気に開かれ、新たな生活を歩み始める姿はきらめいていて眩しい。

特に教室で授業を受け、新しい知識を得ていく過程の描写は何度でも読みたい。

ウィリアム・ストーナーは、自分がしばしのあいだ息を詰めていたことに気づいた。そうっと息を吐き、肺から空気が出ていくにつれて服が少しずつ皮膚の上で動くのを意識する。スローンから目をそらして、教室内を見回した。窓から射し込んだ陽光が学生たちの顔に降りかかり、あたかも体内から発する灯りが暗闇を照らしているように見えた。

『ストーナー』p.15

ストーナーは農学部での勉強を辞め、哲学や古代史、英文学にのめり込んでいく。今まで手にしたことのなかった本を読み、今までいなかった友人を作り、知らなかった世界を知った彼は農業に戻るつもりはないことを宣言し、教師の道を歩もうと決意するのである。この選択が、彼の人生を大きく変えていく。

降り注ぐ困難に耐え続ける

これまで淡々と農業をして生きてきたストーナーは、学び、人と出会うことでさまざまな感覚を味わうことになる。しかしそれは決して、きらめいた良いものだけではない。

彼は自らの世界を広げていく中で、友情や愛情はもちろん、孤独をも感じるようになってしまったのではないかと思った。両親、友人、恋人(のちの妻)、職場の仲間たち。彼らはストーナーを支えてくれることもあれば、ふいにわかり合えなさを感じさせる存在ともなっている。

特に顕著であるのは、妻・イーディスとの関係だ。彼らは恋人になり、夫婦となり、しばらく仲良く関係を築いているような時期もあったが、かなり早い段階ですれ違うようになる。ストーナーはイーディスの笑い声を「耳障り」と感じるし、イーディスもストーナーに対しての態度がそっけなくなっていく。二人の関係を良好と言うのは、あまりに難しい。家庭の中で彼は、孤独になっていく。

それでもストーナーは忍耐強く結婚生活を続け、教師の道を歩み続ける。彼は彼のできることを尽くして、自分の人生を良いものにしようと努め続ける性格なのだ。イーディスのわがままや浪費も「夫である自分の責任」というし、問題のある生徒や同僚にも、忍耐強く向き合っていく。その中で、「イーディスの不関与という点を除けば、ストーナーの人生はおおむね望んでいたとおりに営まれていた」(p.119)という一文は、なんだか切ない。

ストーナーは降り注ぐ困難に耐え続ける、真面目で実直な人物だ。それは頼もしく映ることもあるし、その不器用さにやきもきしてしまうこともある。ただ、そうして彼の人生を見つめているうちに、なんだか自分も彼の人生に参加しているような気持ちになった。彼の隣人のような感覚で、行く末を見守りたくなり、一文一文、最後まで丁寧に読んだ。

作品の力を感じて……

『STORNER』は最近の小説ではなく、もともとは1965年に発行されたものだと、巻末の「訳者あとがきに代えて」(布施由紀子さん)で知った。著者のジョン・ウィリアムズが亡くなると絶版し、その存在も一度消えてしまったのだという。ところが2006年にアメリカで復刊され、数年後、フランスで翻訳が刊行されてからヨーロッパ各国でベストセラーに。奇跡の小説だ。

なぜ絶版してしまったのか、復刊後はアメリカよりもヨーロッパで話題になったのか。その理由は「主人公があまりに忍耐強く受動的で、華やかな成功物語を好むアメリカ人には受けなかったから、というのがおおむね一致した見解のようだ」(p.329)とあり、なんとなく納得。

私個人としては、少しカズオ・イシグロのような空気感があると感じた。ストーナーは決して日本人ではないけれど、日本的な感覚や価値観がある気がする。それもまた、読み心地の良さの一つだったのだろうか。

また、同じく「訳者あとがきに代えて」にあった、「とても悲しい物語とも言えるのに、誰もが自分を重ねることができる。共通の経験はなくとも、描き出される感情のひとつひとつが痛いほどによくわかるのだ」(p.330)に深く共感した。ストーナーは本当にどこにでもいる人物だ。私の中にもストーナーは、いる。

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