映画と脚本と小説の話。MONKEY vol.10「映画を夢みて」

柴田元幸さん編集の雑誌『MONKEY』、vol.10のテーマは「映画を夢みて」。映画にまつわるエッセイや小説、翻訳作品、さらには脚本まで掲載されており、映画×言葉の面白さがふんだんに詰まっていた。

カズオ・イシグロの劇作品「グルメ」が強烈

私がもっとも印象的であったのは、カズオ・イシグロの脚本「グルメ」であった。翻訳を柴田元幸さんが行っている。

カズオ・イシグロの作品は多く手にしている。『私を離さないで』『日の名残り』『忘れられた巨人』『遠い山なみの光』『夜想曲集』……どれも大好きで、敬愛する作家の一人だ。しかし、本書を読むまで、「映像作家」の一面をほとんど知らずに生きてきた。

『上海の伯爵夫人』の脚本を書いたことは何となく知っていても、『遠い山なみの光』、『浮世の画家』がテレビドラマ脚本だったことは全く知らなかったし、今回掲載されていた「ザ・グルメ」は、本当に初見。

「ザ・グルメ」は食べ物の話、ではあるが、あまりのグルメっぷりに幽霊を食べてみたくなり、食べようと試みる男・マンリーの話であった。「幽霊を食べたことがある」と話す人物に出合い、幽霊と出会える場所や食べるプロセスを指南され、欲望に取り憑かれる。そこからの怒涛の展開に興奮し、ドキドキしながらページを捲った。

構成や筋書きが奇妙でユニーク。そして、解説にもある「階級制度がサブテーマとして話に厚みを加えている」(p.32)という、個人的にはイシグロ作品らしい思う点が好きだった。細かな描写、場面展開も新鮮で、脚本でありながら読みごたえもある。本誌で出会えてよかった!

映画に取りつかれた男の物語「我が心のデルフィーヌ」

西川美和さんの「我が心のデルフィーヌ」も好きだった。こちらは、映画に取りつかれたとある男の物語である。

彼は映画監督という仕事もあり、何かにつけて映画と結びつけて話したり、辛い思いをした妻の友人に、リアリティを追求するために取材しようとしたりする。実際、ジャンルレスに幅広い映画を観まくっていて、オタクだなあとじわじわ感じるが、本人は年齢を重ねる中でいつのまにか、映画に揺さぶられる感覚が遠くなっていく。

頭を槌で殴られるような、はらわたを素手で握りつぶされるような衝撃と、そして、世界をすべて敵に回しても、私には映画がついている――そんな恋にも似た狂想と。そういう感覚を、ほかの人々は今も味わうことができているのだろうか。(中略)それとも、誰も初めから映画にそれほどの体験を求めてはいないのか?

「我が心のデルフィーヌ」p.83

これ、結構わかるなあと思った。私の場合は小説である。やはり若い頃よりも感覚が慣れ切ってきていて、感動が薄れているような気もする。ちなみに物語はこのテーマと密接に関わり合いつつ、より興味深い展開になっていく。

ちなみにこの後の西川さんのインタビューでは、映画と小説、それぞれで物語を語ることについての共通点や違いを話しており、こちらも面白かった。私も映像と小説の違いについて考えたことはあるが、直接携わっているプロのお話は視点がより多角的で奥深い。

映画は映像であるが、セリフがあり、脚本があり、ときに字幕があり、感想を文章に起こすこともあったりして、意外と言葉と密接につながっている。言葉のある部分・ない部分が絶妙に交ざり合っている魅力的な分野だなと、改めて感じたのであった。

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