『パレード』川上弘美。目に見えないものが映し出す世界のこと

私は目に見えないものを信じられない質である。しかし、本の世界に飛び込むといつのまにか、「いや、そういう存在もいるかもしれないな」とついつい思ってしまう。私もいたのだろうか、『パレード』に登場する天狗のような存在が。

子どもの頃に見えた生き物たちの物語

『パレード』はツキコさんの子どもの頃の話が中心となっている。ある日突然、ツキコさんの目の前に二人の天狗が現れる。そしてそれが見えた瞬間から、教室の友人たちにも同じように生き物(?)がついていることを知る。

教室に入って、わたしは驚きました。三波くんの横にはあなぐまがいるし、西田さんの隣には小さなおばあさんが座っているし、小田くんなんてろくろ首と腕を絡ませているではありませんか。昨日までは、そんなもの、かげもかたちもありませんでした、たしか。

『パレード』p.32

彼らはどういう存在なのか。なぜ人によって違う姿かたちをしているのか。よくわからない。よくわからないけど、一緒にいるうちに天狗たちの言葉がわかるようになったり、ツキコさんの行いによって態度や反応が変わったりする。

特に、「あるクラスメイトを仲間外れにしよう」という動きがクラスで起きたとき、天狗が病気になるシーンは印象的。それはきっと、ツキコさんの気持ちそのものを表現していたのではないか。となると、天狗はツキコさんの心を映し出すような存在なのではないか。

子どもたちにある日突然見えるようになるのは、自我の現れなのかもしれない(あとがきにそのような指摘もあった)。万城目学さんの『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』には子どもの「知恵が開く」瞬間が描かれているが、それに近しいものではないかと感じた。

次は『センセイの鞄』を読んでから読みたい

同書は『センセイの鞄』のサイドストーリーらしいのだが、知らずに読了した。これ単体でも十分面白かった。ただ、物語に出てくるセンセイとツキコさんのやりとりはきっと、本編を読んだ方が微笑ましく楽しめるのだろうなあ。

例えば、二人がそうめんを食べるくだり。センセイがざるに残ったそうめんをどばっと鉢に開けて持ってきて、ツキコさんが「センセイ、そうめんが食べやすくなっていませんよ」と指摘したら「まあ、世の中、そんなもんですよ」と澄ました顔で答えたセンセイが好きだった。浅いような深いような一言に笑ってしまう。

ちなみに『パレード』というタイトルの意味合いは、本書内でうっすらと暗示されている。儚くて美しい光を放つ、夜のパレード。本編の重要なポイントだと思うので多くは語らないが、読み終わって、腑に落ちた。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。