『海に住む少女』を読んでいるとき、ずっとふわふわとどこかをさまよっているような気分だった。とにかく世界観がとても不思議なのである。生きているもの、死んでしまったもの、人間、動物、概念までもが登場し、優しい文章で綴られているが、どの作品も登場人物はどこか孤独で、悲しく、寂しい。
人の想いから生まれた少女の物語「海に住む少女」
一番好きだったのは、表題作「海に住む少女」。タイトルの通り、海中に暮らす少女の物語だ。
彼女は海水の中を、まるで地上のようにすたすたと歩きまわり、食事をし、家事をこなす。食べても食べても無くならない食料や、誰にも邪魔されない一人気ままな生活の様子はファンタジックで楽しげにも見えるが、そこはかとない孤独や寂しさも感じられる。
彼女は一人気ままに暮らす。しかし、時折窓に敷物を干したり洗濯物を出したりして、まるで「何とかこの町に生活感を出そうと、少しでも誰かがいるみたいに見せようと」(p.11)する。また、どうしても文章を書かずにいられない気分になると、「これをふたりでわけましょう。どうですか」「輪になるには、最低、三人がひつようだ」などと、誰かと会話をするようなセリフを綴る。しまいには船が通りかかった際、本能的に「助けて!」と叫んでしまった。
淡々と語られる彼女の暮らしは、所々に物悲しさが漂う。その日常を読んでいると、苦しいのに美しさに胸がいっぱいになったり、夢みたいであるのにどこか現実と繋がっている感覚にハッとしたりして、感情の処理が難しかった。
物語には彼女の正体、そして彼女の行く末がはっきりと書かれているが、それもまたとても苦しい。少女のような存在が、この私の生きる世界にもいるのかもしれないと、ときどき想いを巡らせている。
死後の不思議な世界を描く「セーヌ川の名なし娘」
もう一つ、心を持っていかれたなあと思ったのが、「セーヌ河の名なし娘」。溺死した十九歳の娘が、同じように死んでしまった人たちと海底で暮らし始める物語。
死後の世界は生きていた世界とは別物で、その人自身の評価もまったく異なるらしい。彼女は新たに表題の「セーヌ河の名なし娘」という名を受け、新しい生活を始めていく。ところが、死んでいるように生きているような世界で、彼女は次第に息苦しさを覚えるようになる。
私は特に信じている宗教はないので、基本的に自分は死んだら土に返るものだと考えている。しかし、もし死後も海底で別の人間として生きていなければならないのだとしたら、彼女のように辛くなってくるだろうなと思う。これは生きている、というより「死ねない」という感覚ではないか。それって死ぬより辛いのでは……
短編はどれも、現実とはかけ離れた世界ではある。それにもかかわらず、どこか現実に寄り添っていて、「こういうこともあるかもしれないな」と自分の生きる今に照らし合わせて考えることも多かった。これぞ、文学の醍醐味である。
シュペルヴィエルの作品は初めてだったが、とても好きだと思った。神秘的で儚い雰囲気をまとった物語が多く、絵はないが、絵本のような作品たちであった。
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