『今日は誰にも愛されたかった』では、詩人の谷川俊太郎さん、歌人の岡野大嗣さん、木下龍也さんが順番に詩と短歌を読み、「連詩」を作っている。この連詩という形式、特に詩と短歌が組み合わさったものを、人生で初めて読んだ。各作品を単体で読むのもとても面白かったが、なるほど、連詩にはそれとはまったく別の魅力がある。
独立した作品が、連なって一つの作品になるということ
一つひとつの作品は、それ一つで完成している。しかし連続して読んでみると、つながりが見えてきて面白い。繋げて読めばそれは、一つの物語のようにもなっている。
連詩の後についている解説では、「この詩(短歌)を受けて、こう書いた」という具体的な連詩のつくりをトーク形式で掲載している。これを読めば、私のような連詩初心者でも味わい深く楽しめる。
ちなみに「受ける」というのは前の詩から単語やイメージを拾って、次の作品を作るという意味のようだ。受け方は自由で、例えば、「Siri」という言葉が入った詩を「尻」というダジャレで受ける回もあって笑ってしまった。詩にしろ短歌にしろ、私が思っている以上にどこまでも自由なのである。
最初は著者名入り、最後には著者名抜きで連詩が綴られていて、これはかなり印象が違った。著者名を抜くと、もうそれは一つの完全なる物語で、より読み心地の良さを感じた。
連詩の中で見つけた、お気に入りの短歌と詩
連詩を読む中で、お気に入りの詩や短歌がたくさんできた。やはり連詩の中で読むのがベストであるし、作品を引用するのはちょっと忍びない部分もあるのだが、少しだけ好きな詩と短歌について紹介させてほしい。
炊飯器が何か言ったけど聞き流して三人で外へ出た
『今日は誰にも愛されたかった』詩・谷川俊太郎
いつの間にか前の道に水たまりができている
市川が蹴つまずいたが転ばなかった
読んだとき真っ先に「えっ、市川って誰?」と戸惑った。連詩の中でちょこちょこ、市川は登場する。
読み進めれば読み進めるほど、市川の存在が気になってくる。しかし、中盤になってくるともはや愛おしさがわいてきて、市川が登場すると「お、市川! おつかれ!」と友達のような気持ちで声をかけたくなってくる。さらには何気ない登場ながら、途中「こいつは人間じゃないのか?」とか「市川の様子がおかしいぞ?」とか、ドキドキそわそわしてしまう存在でもあって、とにかく気になるのである。
解説によれば、岡野さん、木下さんも気になっていたらしい。谷川さんとしては「具体的な人間が見え隠れするのはどうかな」と思って書いたらしいが、確かにかなりアクセントになっていると思った。
シネコンじゃ好きな相手が死ぬ系の映画しかないしね どこ行こう?
『今日は誰にも愛されたかった』短歌・岡野大嗣
最初に読んだときに、不思議な読み心地の良さがあるなあと直感で感じて、さらに解説で「しね」で韻を踏んでいる面白さに気付き、何度も読み返した。口語調であることも、「死」という重い言葉を妙に軽くさせるカジュアルさがあって好きだ。
タイトルの「今日は誰にも愛されたかった」を含む作品も掲載されている。詩や短歌と言っても気難しさはまったくなく、「Twitterのつぶやきでも見つけられそう」(p.123)な気軽な言葉もたくさん交じり合っていて、笑ったり、ちょっと切なくなったりしながら読み終えた。連詩、ほかにはどんなものがあるのだろう。いろいろ読んでみたい。
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