『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』は、小学生のかのこちゃんとその飼い猫・マドレーヌ夫人の物語。子どもの視点と猫の視点が交互に現れ、不思議で愉快な世界観を繰り広げている。
笑ったり、ふむふむと感心したり、しまいには目頭が熱くなったり……気軽に読めるのに、感情がぐらぐらと揺れ動いた一冊であった。
知恵が啓かれていくかのこちゃんが眩しい
小学生のかのこちゃんは物語の中で、どんどん新しい言葉を覚え、成長を遂げていく。大人から習った難しい言葉を経験とともに理解していったり、クラスメイトと「男子と女子、どっちが難しい言葉を知っているか」対決したり……「知恵が啓かれる」様子がありありと描かれている。
新しいことを次々に知り、吸収し、成長していくかのこちゃんの様子は輝いて眩しい。何気ない描写にも胸がいっぱいになってくる。
個人的には夏休みの宿題で、飼い猫のマドレーヌ夫人が歩く道を着いていき、散歩道の地図を作るフィールドワークの話が大好き。当初はかのこちゃんだけの「マドレーヌのお散歩地図」だったが、のちにほかの子どもたちも「以前、マドレーヌをどこそこで見た」と報告してくれるようになり、みんなの力で研究が広がっていって、わくわくした。
子どもの頃のことを振り返ってみると、すべてが新鮮で楽しかったような気がする。しかし自分では一瞬で、それらを記憶する余裕もなかった。だからこそかのこちゃんを通して、子どもの頃の輝いていた時間を思い返せたような気持ちになった。秘密基地作ったり、習いたての難しい言葉を連呼したりしてたな……
人生の始まりと終わりを見つめるマドレーヌ夫人
一方、猫のマドレーヌ夫人は優雅で美しく、近所の猫たちと交流しながら日々を送っている。ほかの猫と違うことといえば、夫が犬の玄三郎であるということだ。玄三郎は今年で十三歳になるおじいちゃん。耳が悪くなり、呼びかけにも応じられないことが増えている。
これからを生きていく成長目覚ましいかのこちゃんと、人生の後半をゆったりと過ごす玄三郎。マドレーヌ夫人は、人生が始まっていく様子と余生を穏やかに過ごす様子、人生の始まりと終わりを見つめる存在といえるのではないか。彼女の視点で見る彼らの暮らしは、それぞれ別の魅力があるように思えた。
マドレーヌ夫人とかのこちゃんの暮らしぶりは全く異なるが、奇妙な出来事をきっかけに交差してゆく。猫と人間という別々の生き物でありながらも、彼女たちは互いの気持ちを慮り、彼女たちなりにコミュニケーションを取っていく。その様はちょっぴり不思議で、でも心地よく、優しさに包まれていた。
個人的には、キャラクターたちがとにかく好きな作品。フィクションなのに、この世のどこかにマドレーヌ夫人やかのこちゃんがいるような気がしてしまう。彼女たちがどこかで、元気に暮らしているといいなあなどと、思ってしまうのであった。
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