内田洋子さんの著書『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』は、予想以上に厚い本だった。SNSで「モンテレッジォという村の、本の行商人の話」といった紹介を見かけて、「へえ~、面白そう」と軽い気持ちで手に取った。こういう村だよ、こういう本の行商人がいるよ、という話を想像していた。
実際、その想像自体は間違いではなかった。ただ、その物語は想像以上に深く、果てしなかった。単なる一つの村の話ではない。イタリアやヨーロッパの歴史と密接に繋がりながら辿る、壮大な世界を知ることになったのである。
トスカーナの小村・モンテレッジォとは何なのか?
著者はヴェネツィアの古書店主から偶然「モンテレッジォ村」の存在を教えてもらい、本の行商人たちが暮らすというその村に興味を持つ。そしてモンテレッジォにまつわるWebサイトを見つけ、取り憑かれるように連絡し、サイトの運営主と出会い、モンテレッジォを訪ね、その歴史と変遷をたどっていく。
モンテレッジォ村は、トスカーナ州にあるらしい。と言っても、街中からは離れた山村で、最寄りの鉄道駅からは15㎞も離れているし、その道のりも山を越えなければならないほどに険しい。さらに現在は住んでいる人もかなり少なく、人口はなんと32人。
こういうところであれば通常、山の豊かな食材や木材などを商売にするのではないか? 土地柄的に本を入手するのも、販売するのも難しそうであるし、本で生計を立てる場所とは思えない。それなのに、1858年のモンテレッジォの人口850人のうち、71人が<職業は本売り>と記載されているらしい。現在でも村の祭りでは本を肴に踊るし、古本市が開かれる。収穫祭で食べ物や飲み物を祭り、楽しむ風景は想像できるが、本。不思議な慣習だ。
モンテレッジォの魅力も、その奥深き歴史も、一度訪れただけ、一度話を聞いただけではわからない。内田さんは何度も訪れ、何度も話を聞き、さらに数えきれないほどの資料に当たることになる。
ミラノに戻って図書館や書店を回り、資料と籠る。ページを繰る。空想する。ああだろうか、こうだろうか。仮説を立ててみる。人名地名。百科事典で当たる。ページの間からわらわらと中世の各地の君主たちが溢れ出てくる。目眩。
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』p.136
そしてやがて、彼らがどのようにして本売りになっていったのか、という歴史が少しずつわかってくる。本書を読んでいるとそれを知るたびに同行できたような気持ちになり、わくわくしたのだった。
一つの村からヨーロッパの歴史へ。果てなく広がる物語に
モンテレッジォ村の人々が本の行商人として活躍するまでの経緯を知るには、本が作られた歴史も欠かせない。出版物がどのように出来上がり、どのようにイタリアに持ち込まれ、どのように広がっていったのか、その中でモンテレッジォの人々はどうかかわっていったのか。いつのまにか壮大なヨーロッパの歴史に踏み込むことになり、驚いた。
最も印象的だったのは、モンテレッジォの行商人たちが「文化の密売人」となり、暗躍していた話である。彼らは店舗を持たず、さまざまな場所からかき集めた本を持ち歩き、あちこちで露店を出し、本を売るという商売。居どころ不定で迅速な行動を売りにしていた彼らは「禁書」を運ぶのに最適な存在だったそうだ。
本書によれば、「イタリア半島を統治していたオーストリアは、『何よりも危険な武器』と、町の行商人たちを警戒した」(p.240)という。そんな彼らを、内田さんが「本を運んで、行商人はイタリアの歴史を底から変えた」とコメントしており、その壮大な歴史に胸が熱くなった。
今もモンテレッジォ村では、春になると移住した人々が戻ってきて祭りを行うほか、モンテレッジォ直系の書店も残っているらしい。文化を裏から支えた彼らの歴史が残り続けることは、遠く離れた日本に住んでいる私の心をも打つ。
いつか訪れることはできるだろうか、本書を見る限り、かなり大変な旅となりそうだけれど……せめて直系の書店だけでも行ってみたいなあと、思いを馳せている今である。
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