愉快な視点ににやり。エッセイ『ひみつのしつもん』岸本佐知子

翻訳家・岸本佐知子さんのエッセイは、だいたいにやにやしながら読む。ゲラゲラ笑う、というのではないし、くすくすでもない。にやにや、が正しい。

とにかく物事を見る視点が面白くて好きだ。にやりと笑って「なるほど」とついつい頷いてしまう。今回の『ひみつのしつもん』も、とにかく気持ち悪い表情で読んだ。

勝手に参考にしたライフハック

テレワークで家にこもりっきりの私がぐさりとささったのは「哀しみのブレーメン」。たいてい家で生活しているがゆえに、たまに家から出ると失敗ばかりしてしまうという話であった。

友人と久しぶりに会えば興奮していらぬことまでぺらぺらしゃべって相手の話はこれっぽっちも聞かず酒をがぶ飲みして酔いつぶれる。街に行けば人の多さと物のきらびやかさと往来のにぎやかさに目がくらんで同じような色と形の服を何着も買いしかもぜんぶサイズが間違っている。

『ひみつの質問』p.29

笑えるが笑えない。私も先日、久しぶりの友人たちとのオンライン飲み会でめちゃくちゃ喋って、ふと映った友人の旦那さんに声をかけて余計なことを言ってしまったような気がする。一瞬失礼かも、と思ったが、そんなことを考えているのは自分だけのような気もしてもやる。そして勝手に「あれは久しぶりにテンションが上がった故で、決していつもの自分じゃないんです!!」と言い訳したくなっている。

この対策として「明らかに自分よりダメだ」と思えるものを探す、というのが愉快。ここではニンニク絞り器が挙げられていたが、使い勝手が悪く二度と使っていないのだという。「ニンニクを絞るために生まれてきたのにニンニクを絞れない、こいつはたぶん私よりダメな気がする」(p.30)とあり笑ってしまった。いや、我が家にも多分、そういう道具はいっぱいあるな……いつかのメンタルケアのために、探しておかなければ。

賢い人が語彙力を失う瞬間が好き

突然だが、私はオタクな人が好きだ。何かにめちゃくちゃに詳しい人とか、何かを堪能に語れる人とかを見ると、勝手に興奮する質である。それゆえに、どのジャンルの人であれオタクの人のブログやツイッターを見つけると読んでしまうし、その語彙の豊富さにうっとりしたりしてしまう。正直、オタクのオタクである。

そんな私が何より好きな瞬間が、知的で語彙力豊富なオタクの人が、あまりの感激ぶりに一気に語彙力を失うとき。さっきまでの流暢な日本語をすべて捨て去って、数文字だけで会話しているのを見るのはなぜか高揚感がある。

「七月の私」では、桃の旬の季節に、桃ばかり食べてしまう話が書かれていた。岸本さんの語彙力をもってしても、桃は「『おいしい』以外の形容詞を思いつかない」という。

いざ桃を前にすると、そういう理性的な思考は瞬時に蒸発してしまう。桃を食べている最中に脳内を満たしているのは、ただ桃の味と匂いと食感と、あとは「桃だ! 桃だ! 桃だ!」「うひゃひゃひゃひゃ」という自分の叫び声だけだ。桃やばい。

『ひみつのしつもん』

岸本さんをもってしても太刀打ちできない桃の美味しさ……すごい、桃、やばい。桃に理性なんかいらない、ということかもしれない。やばい。

呪詛は現代アートになりえる?

Twitterの裏アカウントを作り、誰もフォローせず、されずに鍵をかけて、ひたすら悪態をついていたという話では、とにかく完全密室で悪態を吐き続けたところ、いつのまにか裏アカウントに行かなくなり、パスワードもハンドルネームも忘れ、存在すら忘れかけていたという。するとそれを知った知人が「それってまるきり現代アートじゃない」と言ったそうだ。

誰にも、それを発した本人にすら見られることなく自己完結した呪詛は、言ってみれば純粋呪詛、観念としての呪詛だ。そして私が裏垢の存在を忘れることによって、それはアートとして完結したことになる。

『ひみつのしつもん』p.186

えーっ! そうじゃん! アートじゃん! と私がすっかり感動してしまった。

世の中には、別にアートだともなんとも思わずに作ったものが、うっかりアートとして昇華してしまうケースが、割とあるように思う。まだ読めていない積読の山、ノートの端に書いたらくがき、誰に見せるためでもない、自分のためだけの雑な行いにアーティスティックな心を感じることがある……何それ、意味わからんと一蹴する人も多いだろうが、好きな話であった。

ほかにも、Googleで何でも検索しちゃうからそのうち検索したことも覚えていないような履歴が出てきて自分でビックリするとか、メリル・ストリープの名前が二回に一回出てこないとか、首がもげるほど頷いた。同じ思考回路の部分が見つかったようで、ちょっと嬉しいです……

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。