数ある飲食店の業態の中で、一番愛しているなあと思うのは、実のところ居酒屋な私である。なんで、と言われると雰囲気が、お客さんの賑わう様子が、雑多なメニューが、好きだから。一人で行くのも良し、少人数で行くのも良し、たまに大人数で行くのも悪くない。
しかしながら、居酒屋を友達と思う感覚は太田和彦さんのエッセイ『東京エレジー』で知った。その域には若造の私はまだまだ達せられないのだろう。いつか、長く付き合った居酒屋が友達になったらいいなあと思いながら、読み終えたのだった。
一人酒の幸せにじんわりと共感する
当時65歳の著者は人間関係が薄れていっていることを感じ、「今は居酒屋だけが友達だ」と昔に訪れた居酒屋を巡ることにする。40代の頃から一人で居酒屋に通うようになり、「一人で居酒屋で一杯やるほど気楽なものはない」という。
私は友人たちと居酒屋に赴くのも好きではあるが、この気持ちがよくわかるなあと感じた。一人でふらっと飲みに行って、黙ってお酒とおつまみを楽しむことは、本当に心地が良い。
ちびりと眺めているのは人の世だ。居酒屋には人々の裸の姿がある。酒に酔えばなおそれが表れる。人のふり見て我がふり直せ、自分もまったく同じだろうがそれでいい。当たり前だが自分は特別な人間ではない。市井その他大勢の心地よさ。
『東京エレジー』p.21
「市井その他大勢」になりたいことが、しょっちゅうある。居酒屋はもちろん、チェーンのファミレスやカフェに行くときもそんな気持ちで行っている。誰でもない「無」の自分でぼんやりする時間がほしい。そんなときに確かに、がやがやとしていて、誰も人の目を気にしていない居酒屋は最高なのである。
文字で読む美味しそうな酒と肴
食のエッセイの醍醐味は、何といっても美味しいものを「読む」こと。本書では実際に居酒屋に行って飲んだり食べたりする様子が描かれているが、どれも美味しそうで参る。読みながら想像し、食べてもないのに舌鼓を打った。
特に印象的だった料理は、例えば「夏・浅草」の、むしった焼き鯖を刻みねぎと和えた「さばねぎ」。シンプルな調理法ながら居酒屋めしという感じがする。また、背黒いわしを酢漬けして胡麻をふった「背黒イワシ胡麻酢漬け」も食欲をそそる。冷酒が飲みたくなった。
「春・湯島」では「春の燗酒ほどうまいものはない」といい、肴として「ねぎぬた」を紹介していた。「どっしりした重みをもつ青葱と味噌だけの一品は、春の季語『春泥』を思い出させる」(p.85)とあり、その時期らしい一品として楽しめるのがいいなあと思った。
……と、ここまで書いてみて、今挙げたものはすべて、20代の頃にはあまり好んで食べなかったのかもしれないと思いハッとする。年齢を重ねる中で、自分の「美味しそう」の幅が広がってきているのかもしれない。そうなってくると、雑多なメニューが溢れ返る居酒屋は、一生楽しめる場所なのでは? 嬉しくて、恐ろしい……
東京の暮らしに感じるノスタルジー
太田さんの居酒屋での時間は、若い頃の思い出と交差しながら進んでいく。田舎から東京へ飛び出してきた頃のこと、夢を追いかけた日々のこと。いろんな思い出が駆けめぐる場所で、「ツィー……」と一息つきながらお酒を飲む。
私はその思い出に何にもかかわっていないのに、なぜか一緒に浸って、懐かしさやもの寂しさを感じてしまう。自分が暮らしている街だからだろうか。いや、この、丁寧な文章がそうさせている気もする。
その一方で、見慣れたはずの東京の景色に、新しい発見もあった。例えば、湯島の「新宿や銀座とは違う明治の東京を感じ、東京に深入りしてゆく気持ちをおこさせた」(p.76)という一文は、なるほど、と頷く。湯島に感じる独特の雰囲気は、明治の東京だったのか……
「日暮里」の名前にまつわる文章も好きだ。
遠く富士の方向に、薄雲を赤く染めた空が美しい。夕焼けを見るのは久しぶりだ。都会で見る夕焼けもいい。シルエットになったビルが墓石に見える。一日が暮れてゆく。日暮里とはここのこと。
『東京エレジー』「秋・日暮里」p.122
「エレジー」はつまり、「哀歌」「悲歌」という意味であり、物悲しさや寂しさを想起させる。それは本書の節々でも感じられた。しかし、そんな中で綴られた、以下の文章がいちばん素敵だと思った。
このごろはよく若いころを思い出す。自分は、自分の願った人生を送っただろうか。そうでもないし、そうでもある。結局こうなった。
『東京エレジー』「秋・日暮里」p.123
酒がうまい。それで何の不足があるものか。こうして何も考えなくなってゆく。これでいいのだ。いいのだろう。
悲しみや寂しさは、いつも楽しさや嬉しさや、「まあいっか」というお気楽な気持ちと隣り合わせにいるような気がする。まだ若輩者の私ですら、少し若い頃を思い出して「あのとき考えていた大人と自分は全然違うなあ」とか「でも悪くないなあ」とか、ぼんやりと考えることがあるが、それは別に悲しい・寂しいだけでは決してないのである。
何十年後かの自分は、居酒屋で一人、お酒を飲んだりしているのだろうか。もしそうならば、『東京エレジー』のような時間を過ごせていたら、嬉しいのだけれど。
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